一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.3 February (1) 「細胞生物学」

今本 尚子 (阪大細胞工学センター)

 「専門分野は何ですか」と闇かれると.私は決って「細胞生物学です」と答えます。たぶん、分野の全く違う仕事をしている人たちにとって、「遺伝子工学」とか「癌の治療」という答えの方がピンとくるのかもしれませんが、私はこの「細胞生物学です」の答えに少なからず誇りと自信をもっています。細胞生物学とは、端的にいえば、「細胞を理解する」ための学問分野であると私は、思っています。つまり細胞の生きる仕組みとか、細胞同士の相互作用を理解しようとするのが細胞生物学です。生命現象の全てが細胞レベルの出来事に由来するのであれば、細胞生物学は疑いもなく生命現象を明らかにしようとする生命科学の中心的な学問分野です。遺伝子工学やタンパク質化学を中心に、新しい実験手法が日進月歩に進歩し、細胞の生命現象の営みも、より詳細で具体的な分子レベルの解析が可能になり、また、分子レベルで答えを出すことがしばしば要求されます。細胞生物学の研究をしていると信じている私も、今のところは研究室の中で顕微鏡に向かっている時間よりも、細胞やネズミの組織からタンパク質を抽出したり、coldroomでカラム操作したり、電気泳動している時間の方が数十倍多いのです。但し、私がしている作業も、細胞が営んでいる生命現象の一つである“nuclear transport“に根ざしたものであると信じていますし、また、試験管の中で分かってきた反応やタンパク質があると、生きた細胞に立ち戻って考えて、できればその中で証明して理解を探めたいと考えています。細胞の中でおこっている反応を理解しようと思えば、関与する分子を具体的に同定し.その械能を調べることも必要で、そのために分子生物学的、生化学的方法論を活用することになります。但し、「細胞を理解する」ためには、タンパク質や遺伝子を調べているだけでは不十分で、そこで得られた解答を何とかして細胞の中でおこっている現象に帰結させなければなりません。また逆にいえばタンパク質の精製や遺伝子のクローニングという作業をしなくても、細胞の生命現象を説明できる方法論があれば、これもすばらしいと思います。遺伝子工学的手法を中心に、分子レベルで生命現象を解明しようとする分子生物学や、タンパク質化学的手法を中心とした生化学と違って、細胞生物学は、これらの方法論によって得られる答えに加えて、例えば、細胞内のオルガネラの構造(現在では例えば電子顕微鏡による形態観察)も理解しなければなりませんし、細胞をじっくり顕微鏡で観察することや、細胞工学的方法論の導入も必要でしょうし、或は、将来的には全く新しい方法論の導入を必要とする学問分野であると考えます。つまり、一つの方法論に偏ったのでは、「細胞を理解する」ことはできないと思います。細胞生物学会が「細胞を理解しよう」とすることを等しく目的とした、様々な方法論で問題にアプローチしている研究者の集まりであるならば、他の学会には決して見いだせないこの学会の存在意義とその重要性を感じます。巻頭言の執筆依頼を受けた時、私はついうっかりと承諾してしまいました。というのは、それまで私は巻頭言とはどういうものか知りませんでしたし、じっくりと読んだこともなかったのです。承諾したあとで、この一年間の学会誌を聞き.はじめて巻頭言なるものをじっくり読みました。どれもえらい先生方が執筆されておられ、学会運営や研究費に関する諸問題を論じられておられるのをみて、たじたじとなりました。私のような駆出しの身で一体何を書けばいいのかと最初は途方に暮れたのですが、時間がたつにつれて、居直りも手伝って、positiveに考えることにしました。私のような駆出しの身が経験も視野も未熟なのは当り前。それよりも、細胞生物学会の指導的立場におられる先生方が、若い研究者にこのような場で発言のチャンスを与えて下さったのです。これは、細胞生物学という学問分野がそうであるように、細胞生物学会もまだ若く、既成の概念にとらわれることなく、若い研究者の声に耳を傾け、チャンスを与え、これからどんどん発展するこの学会の体質を反映しているのではないでしょうか。ですから.この巻頭言を読まれた会員の皆様さまも、「若い小娘がえらそーに」ともし思われたら、その前に、私のような駆出しの若い研究者にも発言の場が与えられるという学会の体質を評価して下さるよう、お願いします。


(1992-02-01)

日本細胞生物学会賛助会員

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