一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.11 March (1) 21世紀は女の時代 −個性,輝くとき−

原口 徳子 (郵政省通信総合研究所)

 古来、日本では首尾一貫して物事に取り組むことが尊ばれてきた。武士が主君に仕えることしかり、現代ではサラリーマンが一つの会社で定年まで働きつづけることもそうで、研究の世界でも「○○先生は、30年間、首尾一貫して○○の研究を続けられ、優れた業績を……」などと紹介されるところをみると、首尾一貫することがいいという意味なんだろうと思う。「一所懸命」とか「一生懸命」という言葉は、12世紀の頃、武士が台頭してきたころに作られた言葉だそうで、文字どおり「ひとつの所で命を懸けてほしい」主君にとってはその言葉はたいへん都合が良かったのだと思う。それを思うと、「女心と秋の空」の例えのごとく、移ろいやすい女の行動が、男社会で信用されなかったのも道理である。

 しかし、物事というのは、反対から眺めてみれば全く反対の面が見えてくるものである。12世紀というのもついてに反対にしてしまって、時は、21世紀。世の中は、日進月歩の勢いで目まぐるしく変化を遂げている。この変化に、古典的な「首尾一貫」性だけで太刀打ちできるのであろうか。今こそ、女の本来持ついい加減さ(融通性とは柔軟性と言っても良い)が大変な利点となる。女性にとっては、その性質を活かす千載一遇のチャンスが、有史以来初めて到来したのである。

 先生「××君、○○酵母の研究も面白いんだけど、これからは○虫の研究も面白そうなんだよ、ゲノム情報ももう分かっているし、一応、生殖系列から脳細胞まで揃っているしね、ノックアウトも簡単なんだそうだよ。君、やってみないかね。」

 男性研究員「…………。」

 女性研究員「先生、それ面白そうですね。あののたくっている姿も、結構、かわいいし。私、このところ○○酵母の研究も少し飽きて来てたところなんです。それ、私にやらして下さい。」

 なんて話も聞こえてきそうだ。(注:登場人物は全てフィクションであり、実在の団体、個人とは何の関係もありません。)なんのこだわりもなく、責任感もなく、一貫性もなく、さっと新しいことに融け込むのはやはり女性の専売特許ではないかと思うのである。これから新しいプロジェクトを始めようと思っている皆さん、だまされたと思って女性研究者を雇ってみませんか。きっと上手くいくこと請け合いです。(但し、私は責任取りませんが。)それに、誰かの研究によると、マウスでは、ある遺伝子の制御により、オスの持つ攻撃性が決してメスには向けられないようになっているそうだ。男性ばかりの組織で、権力争いが絶えないところはありませんか?この特効薬としては、女性の比率をもっと増やせば無用な争いを避けられるんじゃないのということになります。(これも、私は責任取りませんが。)女性の能力というこの人類共通の資源は、廉価、効率的、友好的、ファジー機能付き、無尽蔵と利点を挙げたらキリがないほど素晴らしい。 21世紀には、この資源を有効利用した国だけが国際競争に勝つ、と言っても過言ではない!かな?と思っている。21世紀中頃に行われる某女性研究者の紹介スピーチでは、「○○さんは、その類いまれな首尾キメラ性で、多所不懸命に研究をされ、はちゃめちゃな業績を……」などとお8いうのも現れるかもしれないなあ(んな訳ないか)、と楽しんでいるのである。

 生きた細胞を毎日眺めて暮らしているととても楽しい。細胞は一つひとつとても個性的だ。その個性あふれる細胞を生き物として丸のまま受け入れているのが細胞生物学である。細胞生物学は、まさにその個性あふれる細胞のそれぞれの個性を尊重する学問である。細胞にも個性があるが、観察する方にも個性がある。ノンビリ屋は、長ーく観察しなければ見つけられないことを見つけるし、時間のない人は、短期決戦タイプの現象を見つける。失敗ばかりするヤツだって、失敗したからこそ見つけられたような現象を見つけてくるから生細胞観察はやめられない。まさに、細胞の個性と観察する人間の個性のぶつかりあいの中から成果が生まれる。細胞生物学には、学生も先生もなく、マイノリティーもマジョリティーもなく、男も女もなく(女の人、ゴメンなさーい、すぐ裏切っちゃった)、ただ「個性」のみが存在する。21世紀は、私たち一人ひとりの個性を花開かせる時である。


(2000-03-01)

日本細胞生物学会賛助会員

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