原田 慶恵京都大学物質―細胞統合システム拠点
博士課程2年の秋、研究に行き詰まっていた私は指導教員の変更をした。与えられた課題は「Caged ATPの合成」だった。合成法の論文を持って、核酸の固相合成を行っている薬学部の研究室に連れて行かれた。その日から私はその研究室の助手先生ご指導の下、Caged ATPの合成を始めた。その研究室には当時修士課程の学生しかおらず、いきなり最年長のお姉さんになった。生物学科出身の私は、有機合成は初めてで、先生に分液ロートの振り方を教わっているのを、大学院生だけでなく、学部学生もが「お姉さん大丈夫かなあ」と心配そうに見ていた。先生のアドバイスのおかげで順調に進み、クリスマス直前に合成に成功し、とてもうれしかったのを覚えている。結局その研究室には4~5ヶ月通い、大量のCaged ATPを合成した。わずかな期間であったが、私には本当に良い思い出である。研究室には女子学生も多く、とても楽しい雰囲気で、自分の所属研究室との違いに驚きの日々であった。そのとき修士課程の学生で今は大学教授になった人とは、たまに学会で会うこともある。いまだに「おねえ」と呼ばれている。
思えば、これまでいろいろな研究室で実験をさせてもらう機会があった。わずか数日から半年くらいまでと期間や実験の内容、目的もまちまちで、一番すごかったのは、3ヶ月間渋谷でホテル住まいをしながら、東大の駒場キャンパスの研究室に通った経験である。今なら夜遊びしそうなところであるが、当時はひたすら研究室とホテルを往復していた。ちょっともったいないことをしたと思っている。よその研究室に行って実験するのは、勝手が分からずしばらくは緊張の日々である。教えてもらったことは必死にメモを取って忘れないようにする。その緊張感が私は嫌いではない。よその研究室に行くことで得られるのは、実験技術や結果だけではない。何より人との出会いにわくわくする。出会うチャンスはもちろん他にもある。私はこれまでに数回転職しているが、この転職によって異なる研究分野の研究者と知り合うことができた。理工学部物理学科の教員時代、わずか2年間の在職であったが、学部内の若手研究者の交流が活発であったので、様々な研究分野の方と知り合うことができた。このときに知り合った研究者とは現在、いくつか共同研究を行っている。その後、医学系研究所の研究員に転職したときは、大きな環境変化に初めは戸惑いがあったものの、所内の研究会で他のグループの研究内容を知ることができ、大変勉強になった。そこでも新たな出会いがあったことはいうまでもない。パーマネントの職を辞して現在の期限付きのプロジェクトに移ってきたのも、環境を変えることや新しい出会いが重要であると思ったからである。大型科学研究費の班会議や、さまざまな研究会も、新たな出会いの場である。そして何より、学会や若手の会なども出会いの場として重要な役割を担っていると思う。
ここで、細胞生物学会との出会いについて振り返ってみる。入会したのは2005年、大会長から頼まれたからという受け身なものであった。細胞を用いた実験をあまりやっていない私がなぜ細胞生物学会にとどまっているのかといえば、それもひとえに人とのつながりによるものである。大会も終わったし、そろそろ退会しようかなあと思っていた2006年、学会の将来計画委員会の委員を頼まれ、委員会での議論に参加しているうちに、委員の方々の学会や大会をより良くしようという情熱に魅せられてしまったからである。とりとめのない話しになってしまったが、私がこれまで何とか楽しく研究を続けてこられたのは、様々な方との出会いのおかげである。特に若い頃に知り合った人や苦しい時期に出会った人は本当に大事である。というわけで私の宝物は多くの研究仲間や友人である。細胞生物学会を通しての多くの出会いにも感謝している。