一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.34 January - April (1) ロマンを駆動力に!

石谷太 (大阪大学微生物病研究所)

ロスジェネ世代(1970-82年生まれ)とも呼ばれる我々には、就職氷河期やポスドク1万人計画など、何かとかわいそうなイメージが付きまとう。しかし、我々は一方で、分子生物学の爆発的発展を目の当たりにした幸福な世代でもある。当時のトップ研究者が謳っていた「生命現象を分子レベルで理解する」という魅惑のキャッチフレーズにいざなわれてこの世界に入り、新たな遺伝子のクローニングやシグナル経路の発見、多様な生物のゲノム解読などが次々と達成されるさまを目撃した。こうした実体験から、当時の私は、分子生物学こそが生命科学に無限の未来を切り拓くと夢想していた。あれから20年以上経過した今、生命科学の現状はどうだろう?新たな遺伝子・分子・経路の同定は限界を迎えつつあるものの、これらの機能やネットワークの全貌解明にはまだほど遠い。そう、やはり課題は無数に残されている。さらに、近年のオミクス、AIの活用などDX(デジタルトランスフォーメーション)の推進によりデータ取得が以前に比べて格段に簡便になった。つまり、簡単にやれちゃう課題がたくさんある時代、言い換えれば、論文を量産可能な時代、が到来した。これは科学の発展のみならず、我々研究者や大学院生にとっても素晴らしいことに思える。しかし、本当にそうか?

少し話は変わるが、2006年にテニュアトラック助教授として独立した当時の私は、「自分が世界で初めて機能解明したキナーゼNLK」の機能と制御を研究していた。プロテオミクス(網羅的な分子レベルデータ取得)やゼブラフィッシュイメージング(生きた個体・細胞の動態の包括的データ取得)を組み合わせることで、データ取得と仮説立案・検証のサイクルを分子レベルから個体レベルまで階層統合的に行う独自手法を確立し、Nat Cell BiolやEMBO Jなどそれなりの雑誌に論文発表できた。その頃には、テニュアトラック審査もパスし、研究戦略やデータの深さを海外の研究者にも評価されるようになり、この方向性でPI(研究室主宰者)としてやっていけるかも…、と思い始めていた。ところが、国内では、業績は評価されても研究者としての評価は低いままだった(汗)。著名雑誌に論文出せたのに何がダメなんだ??私は「ダメさの正体」を理解できず5〜6年もがき苦しんだ。しかし、ある時、自分が初心を忘れてしまっていること、これこそが自分のダメさの最たる原因であることに気がついた(この苦しみと気づきのプロセスについては他の場所で度々論じているのでここでは省く)。かつての私は、生命のつかみどころのなさ、なんだかよくわからないものにチャレンジするロマンに惹かれ、純粋に生命科学を楽しんでいた。しかし、いつの間にか、独自の手法・戦略を使ってTop Journalで発表することが「チャレンジ」にすり替わってしまっていた。今思い返せば、私が独立後数年間かけて明らかにしたことは、私がやらなくても誰かがいつかは明らかにできることばかりだった。独立して10年を超えてようやく、自分という存在なくしては創造されなかったアイデア真のブレークスルーを生み出すような新分野・新概念の開拓、これらを成し遂げる気がなければPIとしての存在価値がない、ということに気付いた。

我々ロスジェネ世代は、分子生物学の申し子である。ゆえに、どうしても細かい分子メカニズムが気になってしょうがない(私もそうだ)。テクノロジーの進化のおかげで簡便に調べられるので、ついつい盲目的にメカニズム解析に熱中してしまう。そして、学生指導を担当する教員の大半を我々の世代が占める今、学生たちも我々「細かい話大好き世代」の影響を大なり小なり受けているはずだ。もちろん、徹底的なメカニズム解明も確かに大事だ。生命現象の全貌把握には必須だし、それ無くしては創薬研究も進まない。しかし、そうした確実な研究や使命感のためのサイエンスは人類の発展には重要であっても、そこには、かつて私が生命科学に感じたロマンはない。学生時代の我々は先人の研究にワクワクドキドキさせてもらったが、今の若い子たちは我々の研究にそうした感動を覚えてくれているだろうか?よく「最近の若い子は元気がない」「博士課程進学率が低い」という現状を嘆く言葉を耳にするが、その一因は、我々が若者に「サイエンスの無限の可能性」を示せていないことにあるのではないか?

7、8年前に、初心に帰って「ドキドキワクワクするサイエンスにド直球で取り組む」(言葉にするとカッコ悪いが真剣!)という決意をしてからは、研究の中身も私の人生も目まぐるしく変化した。まず、以前から心惹かれていた「発生ロバストネス」や「がんの初期発生」といった、ほぼ概念のみで実体が不明なものを研究テーマに再設定した。前例の少ないテーマに対して手探りで実験系を構築し、徹底したモデル動物の観察、分子・細胞イメージングから新しい仮説を構築していった。もちろん、分子生物学の申し子としての矜持も捨てず、研究を観察・仮説提唱のみに止めず、遺伝子改変やオミクスを駆使して仮説検証・メカニズム解析をしっかり行った。その過程では、数えきれない失敗や、5年も主著論文を発表できない経営危機(!)もあったが、ロマンあるサイエンスを自分自身が楽しみながら進めたことで、むしろ多くのことが好転した。研究室にも自然と人が集まりはじめ、新たな仲間とのDiscussionが更なる新アイデアを産んだ。とりわけ、仲間と共に苦労しながらハンドメイドした実験系から新発見に成功した瞬間は無茶苦茶に楽しかった。そしてついには、研究開始時には想像できなかった傑作論文(自称)を作ることができた(Nature Communications 2019, 2022)。現在は阪大理学研究科や医学系研究科、生命機能研究科など複数の異なる部局の学生たちも参加し、「個体老化プログラム」や「発生速度・発生休眠制御」を新たなテーマとして加え、研究室内でグループ、立場の違いを乗り越えて皆でワイワイ議論しながら「個体の発生・維持を支える未知の生体統御機構の探索・解明」を共通目標として研究を楽しんでいる。石谷は手を広げすぎだよ!とご批判を頂くこともあるが、どのテーマも研究を楽しむ過程で派生したものであり、マイナス面を感じたことはない。むしろ、視点が異なる複数の研究テーマの存在によって、皆の発想が柔軟になり、異分野の視点(例えばpHや温度、相分離、張力などの化学・物理学パラメータや、医学薬学のロジックなど)や最新テクノロジーの導入が効果的に進み、プラスの効果を生み出せている。

DX/AIの発展に伴ってデータ駆動サイエンスの重要性や便利さが叫ばれているが、私はあえて、ロマンを駆動力とするサイエンスを提案したい。調べる手立てが確立されていないプリミティブなクエスチョンへの挑戦は、リスクが高く、論文作成に多大な労力と時間がかかる。しかし一方で、プリミティブな研究には手作りの楽しさだけでなく、世界を革新しうる(教科書に載るかもしれない)というロマンがあり、研究者のモチベーションを駆り立てる。私はまた、大胆な仮説を持つロマンあふれる研究者ほど意外な発見(セレンディピティ)に出会う頻度が高い、と確信する。データ駆動サイエンスの強みとして「ノンバイアスさ」が尊ばれているが、人間が「自分の仮説に期待するという一種のバイアス」を持って研究するからこそ、期待を裏切られたとしても別の気付きに至ることができるのではないか。事実、私は、そうした想定外の気付きによって研究が爆発的に進む瞬間を何度も体験した。また、ロマンある課題には人が集まり、人と人のコミュニケーションから新たな発想、新たなロマンある研究テーマが生まれる。さらには、未来を担う若者のサイエンスへの興味、情熱も増幅させ、サイエンスの発展を無限のものにしうるはずだ。皆が同じ道に向かってもいつかは行き止まりだ。その先に道が見えなくともロマン・冒険心を感じる方向に確固たる決意を持って進めば、新たな道が拓け、その道に新たな仲間が加わり、彼らの一部はさらなる道をまた切り拓くだろう。

今後もDX、AIのみならず研究環境を快適かつ便利にする技術革新は続くはずだ。こうした最新技術は「自分の研究をより迅速により良いものにするためのツール」として積極的に取り込めばいい。しかしやはりサイエンスの主役は人間である。サイエンスを育むのは人間の夢見る力であり、楽しんだり感動したりすることが研究者自身や科学を成長させることを心にしっかり刻むことが大切だ。いち研究者としてサイエンスを最大限にエンジョイし、いち教員・いちPIとして次世代にサイエンスの無限の可能性、夢・ロマンを示すことを改めて決意し、この原稿を締めくくりたい。


(2023-04-03)

日本細胞生物学会賛助会員

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