馬場 美鈴工学院大学総合研究所
1989年X月X日、一枚目の電子顕微鏡写真が撮影された。その後の、偉大な賞へと導くことになる記念すべき日になった。
当時、駒場キャンパスの研究室は、ガランとしていて何もなかった。人もいなかった。光学顕微鏡1台と、細胞培養する装置のみである。
そんな研究室の中で、先生はいつも光学顕微鏡を覗いていました。そして、私にも見せてくれました。光学顕微鏡で唯一見える酵母の液胞の中に、球形の構造体がチラチラ動きながらひしめき合っていた。この構造体が何であるのか、電子顕微鏡で見て欲しいといわれた。すべては、そこから始まった。
何もない研究室だったので、細胞凍結装置を手作りするために図面を引くことからスタートした。簡易型の装置であったが、使いこなす腕さえあれば、機能は十分に果たすものだった。結局、この小さな装置が重要な役目を果した。
当時、私が所属していた工学院大学の某研究室に、研究費が潤沢にあったことと、電子顕微鏡の設備が整っていたことは天の恵みだった。地下の暗い部屋の中、蛍光版の上に映し出される細胞を一つ一つ丹念に観察していった。超薄切片を切りなおしては、また電顕に向かった。何度も何度も。細胞質に丸い構造体を見つけたとき、その重要な意味を理解せずにとにかく撮影した。後に、パズルのように写真を並べ替えていた時、この構造体の謎が溶けた。酵母のオートファジー現象の発見、酵母のオートファゴソームの発見と、この研究の初期において、電子顕微鏡が果たした役割は大きかった。地道な作業の繰り返しである電子顕微鏡は、今回を機に、一躍、世界の花道に顔をのぞかせたのかもしれない。長年、電子顕微鏡に携わっている者としては、喜ばしい限りである。
今回、先生が、“オートファジー研究をはじめて28年”と言われました。心ひそかに、それなら私も28年なのねと。はじめから、信念を持って液胞というオルガネラに固執されていた先生の発想は、ゆっくりと進みながら、大きな成果へと発展しました。
大隅先生、ノーベル賞の受賞おめでとうございます。心から祝福いたします。