廣川 信隆東大・医・解剖
私が米国のワシントン大学にいた頃、ある日 John Heuser とどの様な瞬間に最もexcite し、喜びを感ずるかという事を話した事がある。私達の答えは、はからずも全く一致した。それは、電子顕微鏡の蛍光板上に、未知の機能的に重要な、美しい構造を見た時である。研究者には色々なタイプがある。数値やグラフを基にした論理の整合性、それによる現象の説明を好む者、形という情報に最も直接的な Impact を受ける者、未知の機構と関連した新しい物質を同定する事に喜びを感ずる者…。
1950年代の生物科学の諸分野に於ける方法論の質的な転換(電子顕微鏡、超速心機、微小電極等)以後、各分野により、より精度の高い情報をうる為の一層の努力がなされ、細胞についての形態学、生化学、生理学的な多大な知見が集積して来た。この努力は現在も継続し将来も追求すべきである。それと平行して、多様なアプローチを統合し終局的には一つである細胞を複眼的に理解しようとする細胞生物学は1960年に米国で初めて学会として誕生した。その後、約 30年の内に細胞生物学は解剖学、生化学、生理学、病理学、基礎生物学、発生学、神経生物学等を基盤に急速な発展をとげ、現在さらに細胞工学や分子生物学を統合していわば 分子細胞生物学 として益々めざましく展開している。Journal of Cell Biology や Cell はまさに細胞の歴史を書いて来たと言っても過言ではないであろう。ここで強調しなければならない事は、細胞生物学は広いという事である。 multidisciplinary は勿論だが新しい方法論の重要な展開(特に工学顕微鏡法や電子顕微鏡法等)の多くは細胞生物学雑誌に発表され、細胞生物学は、各分野での最も先端的な部分が土台となって発展して来たことも忘れてはならない。
私は初め形態学を自分の主たる視点として研究生活に入った。形を通して細胞機能の機構を探りたいと思ったが、それが、構造そのものがどの様な分子がどう組み合って構成され、複数の構造がどの様な機構により、関連して細胞の機能を営むのかを知りたいと思うようになるのは自然である。5年間の滞米生活をはさんで私達自身の研究も構造、物質、動態、遺伝子、遺伝子発現、そして機能と学際的に発展し、遺伝子−分子−高次構造−細胞と一連のものとして研究が進む様になって来た。初めに書いた問を、今又自分自身に問う時、自分の中の価値観がより多様になって来ているのに気がつく。
現在生物科学は、各分野での方法論の成熟と情報の集積により、分子細胞生物学としての統合化が、研究者個々の意識内と同時に機構としても確実に進んでいると思う。米国では細胞生物学会が神経科学会と並んで大変大きな学会に成長して来ている。
日米の研究体制にそれぞれ長所・短所はあるが、細胞生物学を囲む日本側の研究体制と研究者社会の問題として私が日頃感ずるのは、研究者のポストの不足(ポストドクや技官、秘書も問題外に少い)、研究費の額が少く細切れである事、研究室の機構が学際的アプローチに不利な事(スタッフが少く、縦割りの傾向)等の問題であり、研究者社会の問題として、学会の超分散化や研究者が original な研究に時間を費す事をはばむ種々の障害(総説誌の氾濫等もその一つ)等があげられる。
私は日本の細胞生物学研究自体の質は高いと思う。分子細胞生物学は、まさにこれから Biomedical Science の core となるべき学問であり、この学会の裾野がさらに拡り、多くの国際的にトップレベルの研究が輩出し、すぐれた研究者が育つ事を祈り、又自分自身もそうありたいと思っている。その為研究体制及び研究者社会の問題を改善する為の努力も必要であろう。又当然の事であるがすべての基盤として、私達は、よい original 論文を書く事を最も大切にするという研究者の原点に常に立ち帰らなければならないと思う。