矢原 一郎都・臨床研
私がCellStructureandFunction(CSF)の編集を引き受けてからはやくも3年になろうとしている。この間,編集委員をはじめとする多くの会員および非会員の方々のご協力によって,CSFは順調に刊行されてきた。ところで,日本細胞生物学会の会員数が増加してくると,いずれは直面しなければならない問題が現実味をおびてくるもそれは他でもない,英文学術誌CSFのあり方の問題である。以前,本誌に書いたように,会員が支払う年会費の約75%がCSF刊行のために使われている。当り前のことだが,学会の会計は左うちわという訳ではない。また,余裕を持って会費を支払っている会員が大多数であるはずもない。「したがって,CSFをそれに見合う価値あるものにしなければならない」,という主旨をその折に述べたように憶えている。これは現在のCSFのあり方,つまり会員全員にCSFを配布するシステムを継続させることを前提にした新編集委員長の意気込みである。しかし,それよりもさらに一歩踏み込んで,会員とCSFの現在の関係を継続するにせよ改革するにせよ,考えてみる時期に差しかかっている気がする。
現状の問題は次のような点に著者に現れている。現在、私が所属する都臨床研細胞生物学研究部門には本学会の会員が私を含めて7名おり.会則にしたがって,各人にCSFが送られてくる。しかし,かれらのデスクの書棚にピンクの雑誌の束は見あたらないので,適時捨てているに違いない。新著のCSFが捨てられるということは編集委員長にとっては悲しいことではあるが,それはいいとしよう。私どもの研究室では,購読雑誌は,NatureであろうがCellであろうが,1年後の夏に図書館の同じ雑誌の製本が完了する時点で捨てることにしている。したがって,CSFを例外とする理由はなにもないからである。問題は,同じ雑誌の同じ号がいつも7部私どもの研究室に届けられるということであり,それらがドサドサと捨てられる点にある。CSFに掲載された論文を読むためであれば,1研究室1部で十分であろう(他に図書館に1部)。会費の大部分がCSFの刊行に使われていることを考えると,明らかな無駄である。日本細胞生物学会の活動を担っている研究室では,どこも似たような事情と思われる。
とはいうものの,この「無駄」を生むシステムがCSFの刊行を経済的に支えていることを決して忘れているわけではない。今のCSFを,購読料でまかなう独立採算方式に移すのは容易なことではない。
しかし、日本生化学会はJournalofBiochemistryを,文部省の学術定期刊行物補助金やページチージを加えてほぼ独立採算で発行しているので.独立採算方式がまったく不可能とは断定できない。また,中間的なあり方として,学会がスポンサーとなり,学会員は割引価格で任意に購読するというシステムも考えられる。これだと,先の「無駄」がなくなり,会費を減額できるという利点がある。ただし,現状のCSF評をそのまま購読システムにのせてどの程度売れるかとなると,心許ない。論文の質をよくすればこの点は解決するであろうが,これもまた簡単なことではない。
矛盾することを言うようだが,私は,世の中が一流のジャーナルだけになってしまうのがよいとは思わない。文化が成熟して,後は滅びるのを待つだけの世界でなら.それもよかろう。ところが,細胞生物学はまだ開ききっていない花である。おまけに,希望的観測を加味すれば,日本の基礎科学はこれからである。したがって,日本の生物科学には.玉石混交の論文に対応する多様なジャーナルが必要である。それらの中でCSFがどういうタイプを目指すれ、また、どういう役割を分担するかを考えなければならないと思う。