松本 邦弘名古屋大学・理学部
今まで細胞生物学会とは、ほとんど関わりがなく、たまたま昨年のシンポジウムで話す機会を与えていただき、それでは学会に入ってみようかということで会員になった次第で、それほどまじめな学会員ではない。そのような昔が、学会誌の巻頭言を書いていいのだろうかと自問しつつ、この文章を書いている。研究費やポストの問題について書くと、他の方々が書かれている内容とだいたい同じになりそうなので、ここでは、私が今まで関わってきた、また今後も関わるであろう遺伝学のキャッチフレーズについて述べてみたい。実験研究者にとっての理想は、簡単な実験系で、高価な実験器具を使わず、少ない研究費で、自然科学において重要な発見をすることであろう。これが可能な分野の一つは、微生物遺伝学であったと思う。その代表例が、Jacob and Monodによるオペロン説である。遺伝学に限らず、すべての研究は思考と実践の交互の積み重ねにより発展する。実験結果をもとに、作業仮説またはモデルを構築し.そのモデルから新しい結果、新しい理論へと発展していく。たとえば遺伝学の場合.新しくたてた作業仮説に従えば、次にどのような変異がとれるか、そして予想した変異株が実際に分離できるかと実践していくわけである。これは、一種パズル解きをしているようなもので、ここでいるものといえば、シャーレーと培地、そして論理的患考さえあれば、何とかやっていける。従って、「金がなくても遺伝学」というフレーズができあがる。最近のホットなテーマの一つであるシグナル伝達機構の場合、多数の遺伝子が複雑に関与しているので、その分子機構の解明には遺伝学的解析が非常に有効な手段となる。しかし、オペロン説の時代と現在とでの大きな違いは、モデルの提示だけでは認めてもらえないという点にある。すなわち、そのモデルを完全に実証しなくてはいけないのである。ここは遺伝学の弱点である。研究に対する遺伝学からの貢献は、モデルまたは作業仮説の提示であり.そのモデルの最終的証明は、他の分野とのinteractionなしでは不可能である。その結果、多数の人が関与した実験で、高価な器具と多くの研究費を費やして.はじめて自然科学の発展に貢献できるということになり、先に述べた研究者にとっての理想は、遺伝学者にとっても、現実の前では「Platonic ideal」となる。今後の遺伝学からの研究に対する貢献は、いかに他の分野の人達が興味をひくような材料を提供できるかというところになり、「縁の下の遺伝学」というフレーズになる。