岸本 健雄東京工業大学生命理工学部
大学における最近の関心の一つは,いわゆる大学院重点化であろう。いくつかの大学では既に制度として動き始めているのは,周知の通りである。この構想を知った当初,大学院重点化とは,大学が研究の場としてもっと機能できるようにするための方策かと筆者などは理解していたのだが,どうやら“重点的”な大学院の学生の数が増えるということが現実らしい。いささか肩すかしを食らった気がしないでもないが,研究者の予備軍が増えることそのものはそれほどわるいことでもなかろう。実際,日本の研究者層の薄さを痛感することは多い。
しかし,彼らがドクターコースを修了する頃のことを予想すると,事態はそれほど楽観的ではなかろう。つまり,彼らの行き先である。大学院重点化にともなった学生数の増加に比べて,いわゆる大学のアカデミック・ポストの数は実質的にはほとんど増えないのが現実である。企業の研究所や外国でのポストの獲得,あるいは国内ポスト・ドック制度の充実といった“つなぎ”に少しは期待をもつにしても,彼らの将来の“雇用の場”の数が,現状ではあまりにも限られている気がする。
そこで,提案である。いわゆるアカデミック・ポストを増やすために,細胞生物学会としても努力する必要があるのではなかろうか。もし未だそのことが論議されていないのなら,他の関連学会とも連携して,将来の彼らの受け皿を少しは準備した方がよいのではなかろうか。しかし,大学そのものについては,学齢人口の減少で,むしろこれからはサバイバル競争という時代であり,かつての一県一医大創設時のように数が増えることはもはや期待できないであろう。
では,どのような受け皿が考えられるであろうか。一つの方策は,やはり研究所の設立であろう。現在岡崎にある基礎生物学研究所と生理学研究所とは,その前例ともなるであろう。これらの研究所が開設されたのは,1977年,つまり18年前である。計画そのものは更に10年以上さかのぼっているはずであり,それぞれ関連学会の支援を受けて,それまでは日本になかったタイプの“理想の”研究所としてスタートしたと書いている。そろそろ次世代の研究所をつくることを,いま,また考えてもよいように思う。ただ,こんどはたぶん,“理想の”などと肩肘を張るようなものではない方がいいような気がする。一点豪華主義よりはむしろ,“ほどほどに”,しかしお互いに切磋琢磨してサイエンスができる場を,できるたけ数多く創出することであろう。これにより,大学院重点化の成果をうまく受けとめ,研究者層の厚さが少しは保障されるであろう。この層の厚さは,サイエンスにおけるオリジナリティを将来に生みだす土壌となるにちがいない。