高松 哲郎京都府立医科大学病理
最近新聞に「抗生物質はバクテリア同様ウイルスも殺す」「男か女になるかを決めるのは父親の遺伝子だ」等の問いに正答した日本の大人は4人に1人であったというニュースが掲載された。文部科学省の科学技術政策研究所が,科学の基礎知識を問う10問の正答率を,EUや米国などの調査結果と比べたとろ,日本の順位は14カ国中12位であったようだ。小学生や中学生を対象にした調査では常に上位にランクされているのにである。質問内容に多少問題はあるものの,このアンケート結果は日本人における科学的知識の低下と日本の科学が置かれた状況を表している。バブルがはじけた後も,形のないものを右から左に動かすほうが価値があると考える大人が増加していると思われる。深刻なのは,科学的素養に基づいた論理的な判断ができなくなってしまったことである。例えば,昨今の農水省など中央省庁を巻き込んだ不祥事が起きたときの,科学的な素養が全くないとしか思えない官僚の態度に表れている。
最高学府の大学でも,全国の大学学長へのアンケートや大手予備校が実施している学力調査結果を待つまでもなく,大学生の学力低下に対する策が模索されている。例えば,センター試験制度のおかげで物理・化学しか学んでいない学生が多く,医学部では生物の講義に補習を行っているところが増えたなどである。しかし,近い将来もっと惨めな状態に陥る可能性がないわけではない。それは旧文部省が進めてきた「ゆとり」路線に起因し,「2006年問題」と呼ばれている。2006年になると内容が約3割削減された新しい学習指導要領のもとで学んだ高校生が大学に入ってくるのである。特に理科は,物理,化学,生物,地学の中から1科目を選択すれば済む。理科基礎か理科総合で基本的な内容は学ぶことになっているものの,理科を十分に学んでいない学生が入ってくる恐れがこれまで以上にある。
ところで,昨年末で足掛け6年担当した細胞生物学会の会計を無事終えることができた。会員皆様のご協力のおかげと感謝している。6年前に引き継いだときの会計は,毎年の年度会計は赤字で累積赤字も500万円近くあり瀕死の状態であったが,平成13年度は累積赤字を解消し,年度単位においても黒字となった。これは文部科学省からのCSF発行に対する援助が大幅に増額されたことに尽きるが,この援助は単に学会誌の発行に対してではなく, 学会の社会的な役割に対してと考えなければならないと思う。学会の役割は同じ興味を持つものが集まり切磋琢磨することだけに終始するだけでは不十分で,そこでの成果を社会に還元してこそ存在の意味がある。
野依博士は日本化学会のノーベル賞受賞記念講演会中で,「産業技術のための,あるいは経済活動を活発にするための理系学生の養成ではない。すべての人が科学について一定の基礎知識をもつ必要がある。一方で,理系を目指す方も芸術や文学といった文化的な素養を身につけなければ幸せに生きることは難しい。日本は,科学技術創造立国であると同時に文化立国であってほしい。いろいろな意味での教育が最大の課題だと思います。」と述べられている。国民の科学の知識だけではなく,科学的思考の大切さを理解してもらうため学会は行動しなくてはならないと思う。細胞生物学会が参加している生物科学学会連合を中心に, 高校の学習指導要領の束縛を離れ大学受験のためではない生物の教科書作りが始まったとお聞きしている。今後に期待したい。