佐藤 健東京大学大学院総合文化研究科
一般に、実験系の研究発表では、研究の目的、方法、結果、考察が述べられるが、この結果のことではない。最近、学生さんの口頭発表や、その要旨の文章中で、「結果、AとBの相互作用が確認されました」というように、本来、名詞である「結果」を、文章の初めに置いて副詞のように使う人が増えてきた。少し前まではたまに見られる程度だったが、ここ数年ではもう普通になったといえるほどよく使われているように見受けられる。筆者の世代では、「その結果」とか「結果として」というように使うことはあっても、しゃべり言葉や文章中で、副詞的に「結果」を使うことはない。
調べてみると、比較的最近になって観察されるようになった使い方だそうだが、文法的には間違いではないらしい。単にこれまで使われていなかった使い方がされているだけで、特にふざけているわけでもないし、流行語というわけでもない。意味も正しく伝わるので、まったく問題はない。ただ、なんとなく引っかかる。
大学生の娘に聞いてみると、しゃべり言葉でも文章でもまったく気にならない、テレビCMでもよく使われてるよ、とのことだ。なるほど、CMなど限られた尺の中では、同じ意味ならできるだけ短い言葉の方が便利な場合もあるだろう。こういうところから言葉の新しい使い方が広まっていくのか。
ついでに言うと、いわゆる「バイト敬語」も気になっている。これも圧倒的に学生さんの発表に多い。「このスライドはAとBの相互作用をみた結果になります」が定番だが、そんなこと言われても、「スライドは何かになったり、ならなかったりしないよ」と思う。こんなことがいちいち気になってしまうのは、大学教員になって、言葉の伝わり方を気にするようになったためかもしれない。
研究室で行う学会発表の練習などでは、筆者はこういう言葉の選び方についてよくコメントする。これは、「そういう新しい言い方をするな」ということではなく、「選ぶ言葉によって伝わる印象が違う場合があるよ」ということである。「考えるな、感じろ」とは、あのブルース・リーの映画での台詞だが、スポーツや芸術と違い、我々の研究は言葉でしか伝えることができない。その言葉に敏感であることは、研究を行う基本事項だと思う。言葉には、意味に付随して伝わる雰囲気や視点や感情みたいなものがあるので、自分が使う言葉の効果を正確に把握しておくほうがよいのではないか、という提案である。とまあ、こういう概念的なことを指摘しても、学生さんにはまったく刺さっていないのは分かっている。
結果、学生さんの発信力やコミュニケーション力が上がってくれればいいな、と思ってのことなのだが。