池ノ内 順一九州大学 大学院理学研究院
どんな研究者も手習いから始まり、研究という言葉の響きに淡い希望と畏れを抱きつつ、初々しい研究生活を送る時期がある。私自身は、学部3年生の頃に、解剖学の塩田浩平先生の研究室に伺ったのが研究の始まりであった。教科書をいくら読んでも細胞のシートが立体的に入り組みながら色々な臓器が出来上がる様子がイメージできず、結果として人体発生学の試験で落第してしまった。追試の相談がてら、もう一度ちゃんと勉強しようと思ったのが研究室をお邪魔したきっかけである。あまり人に自慢できるような動機ではない。
塩田先生の研究室には、ヒトの中絶胎児のスライス標本の膨大なコレクションがあり、塩田先生からは発生段階を追ってスライドを見ていくようにアドバイスを受けた。講義が早く終わると研究室に伺い、二人で一緒に観察できる顕微鏡を挟んで、塩田先生と向かい合って座り、ヒトの胚子標本を見ながら、臓器が出来ていく過程や、「この胚子は正常か、異常があるとすればどこか」という見方を教えていただいた。
古典的なアプローチであるが、「ひたすらに観察する」ことは、いつの時代にも重要な研究のトレーニング法であると思う。半年ぐらい通った後に、標本を自由に見ることが許され、まだ十分に解析されていない比較的新しい標本を選んでは、どこかに形態の異常がないかを探す毎日が始まった。追試の勉強で通っていたはずが、次第に自分の手で何か興味深い標本を見つけたい、という欲が芽生えた。今から考えてもあの標本群は宝の山であり、初心者の私でも、5例ほど良く似た形態異常を示す興味深い胚子標本を見つけることができた(Ikenouchi et al. Acta Neuropathol. 2002)。つくづくそのスライドを眺めていると、次はこの胚子で形態の異常が起こった「原因」を知りたいと願うようになったが、パラフィン包埋されたスライド標本となってしまっては、そのような解析をすることは叶わない。そこで、いつしか形態と遺伝子をつなぐ架け橋として細胞生物学に惹かれるようになり、月田承一郎先生の研究室のドアを叩いた。以上が個人的な研究との馴れ初めである。
研究を志向する学生が減ったという昨今の状況は、経済の問題や大学受験の悪弊など様々な要因があると思うが、一つには、研究との最初の出会いの際に、研究に対する目標が既に設定されていて、自分の中から知りたいという思う気持ちが沸き上がってくる経験をしないままに学生生活を終える人が増えていることが原因かもしれないと思う。卒業研究などの人生における研究とのファーストコンタクトに於いて、研究に対する強い動機を最初から持ちあわせていない人も多いのではないだろうか?個人的な経験から「研究方法のとっつきやすさ」と「研究対象の奥深さ」に加えて、指導する側は、最初の半年くらいを丁寧に指導した後に学生の自由度を上げることも重要なポイントであるように思う。お忙しい中、追試の相談にノコノコやってきた見込みの薄い学生を相手してくださり、研究者への道筋をつけてくださった塩田先生に本当に感謝している。
最先端の研究テーマでは、背景知識の理解、実験材料の準備や手技の習得に時間がかかるようになり、初々しい時期に主体的に「研究をしている」という実感を味わうことは難しい。4月にフレッシュな卒研生を迎える立場になり、「研究をさせられている」のではなく、「研究をしている」と日々実感できる研究テーマの設定に四苦八苦する日々である。