小根山 千歳愛知県がんセンター研究所
研究室を主宰してから、気づけばあっという間の年月が経ちました。振り返ると、思うように進まずもがいた時期も少なくありません。それでも日々の実験やデータとの対話を通じて、自分なりの探究の姿勢を少しずつ育ててこられたと感じています。
私の研究の中心には、一貫してSrcという分子がありました。Srcは、増殖・生存・運動といった多彩な細胞機能に関与するチロシンキナーゼであり、最初に見つかったがん原遺伝子産物としても知られています。制御機構も複雑で、状況に応じてそのふるまいが変化するため、飽きることのない魅力的な対象です。私はこれまで、細胞内での局在、がん特異的な基質の探索、miRNAとの関係、細胞外小胞産生における役割など、さまざまな切り口からSrcに向き合ってきました。アプローチに一貫性がないように見えるかもしれませんが、常に自分の中には「がん細胞はなぜこのようにふるまうのか」「Srcはそれにどう関わっているのか」という問いがあり、その軸を持ち続けているつもりです。
一方で、Srcは「古い」分子なので、「この方向でよいのか」「これは新しい発見と言えるのか」と自問することもしばしばです。また、がん研究という疾患志向と、細胞生物学という基礎的視点の間で揺れ動き、学会発表のカテゴリーには今でも正直迷います。
この間に、研究技術も大きく変わってきたように思います。細胞生物学会には、顕微鏡やイメージングを得意とする先生方が多く、可視化技術の発展は非常にエキサイティングです。やはり「見える」ことには強い説得力があります。私ももちろん恩恵を受けていますが、正直なところ、私にとって一番頼りになる相棒は免疫沈降とウエスタンブロッティング、そしてコロニーアッセイです。やはり「古い」ものが好きなのでしょうか。いったいこれまで何枚ゲルを泳動したかわかりません。狙った分子のきれいなバンドが出たときのあの充実感は格別で、思わず心が躍ります。その一方で、Supplementに汚いブロットが潜んでいる論文にはがっかりしますし、バンドの加工につながるような「答え合わせ型」の研究には、複雑な気持ちを抱きます。そして、コロニーアッセイ。正常な細胞は軟寒天培地に播種しても足場がないために増殖できませんが、がん化した細胞はコロニーを形成します(足場非依存性増殖)。遺伝子発現を変えたり、薬剤を加えたりして変化を期待しながらコロニーの出現を待つ──その時間は、今も楽しいものです。
近年では、AIや機械学習の活用も進み、最新のオミクス解析や高精度イメージングを駆使した研究に触れると、「この、狙ったバンドを追いかけるやり方に価値はあるのだろうか?」と、ふと考えることもあります。それでも私は、こう思います。がんという複雑な相手に迫るには、「一見遠回りに見えても、確かだと感じる分子や現象に粘り強く向き合う」という姿勢がどこかで必要ではないか、と。そして、その姿勢を支えるのは、必ずしも合理的とは言えない、研究対象や手法に対するある意味偏った想いなのではと。
私たちはしばしば、自分の研究がいかに重要で、独創的で、先進的で、社会実装に資するか──をロジカルに説明するよう求められます。それはもちろん大切なことですが、大変なことも多い研究を前向きに続けられるのは、やはり理屈では説明しきれない情熱があるからこそではないでしょうか。何はともあれ、それぞれの研究者が持つ“愛着”が、その人らしい研究の在り方を形づくっているのだと思います。さらに言えば、そうした多様な偏りをもつ研究者たちが集まってこそ、革新的な発見が生まれるのでしょう。その意味では、研究者の多様性を阻むような社会的な動きがあることには、少し心配もしています。
小さな手ごたえや、仮説が思わぬかたちでつながった瞬間──それが、かすかに現れたバンドだったり、ようやく出現したコロニーだったり。そうした日々の実験の積み重ねが、私にとっての研究そのものであり、これからもその姿勢を大切にしながら、歩みを続けていきたいと思っています。