中津 史新潟大学大学院医歯学総合研究科
みなさんは、日々、どのように研究を愉しみ、どんなことに喜びを感じるだろうか。実験が思い通りうまくいったとき、予想外の結果が出たとき、学会の若手最優秀発表賞に選ばれたとき、論文がアクセプトされたとき、あるいは(先日の2025年名古屋大会の大会長企画でも話題になった)ノーベル賞を受賞したとき、だろうか。私自身も、修士の頃、自分が初めて立てた壮大な仮説(大した仮説ではない)が正しいことを示すウエスタンブロッティングのバンドを見たときは、とてもうれしかった。初めて自分で作ったキメラマウスが生まれたときの感動は、今でも忘れられない。ラボメンバーや同僚と「こうかもしれない」「いや違うかも」とディスカッションしているときも、また愉しい。しかし、やはり私にとって最も愉しい時間の一つは、顕微鏡で細胞を観ているときかもしれない。蛍光染色した細胞を初めて顕微鏡で見たときに感じた、“引き込まれるような”感覚は、今でもはっきり覚えている。過去の巻頭言でも、細胞の美しさを『小宇宙』と表現された先生がいらしたが、まさにその言葉がふさわしいと感じる。
それでも、私が細胞の世界に惹かれるのは、単に「きれいだから」という理由だけではないように思う。私は、細胞内のタンパク質や脂質の分布、あるいは動態を観察することが多い。時間経過による変化や動きに注目する場合はもちろんのこと、たとえ静止画で事足りるような実験であっても、極力まずは生きた細胞を観るようにしている。実際、活動している細胞を観察すると、そこには予想以上に多くの情報が見えてくる。スナップショットでは捉えきれない一瞬の出来事や、平均化されたデータに埋もれてしまうような現象に出会える。探しているものが、そこに確かに「ある」と感じられるからこそ、私はその世界に惹かれるのだろう。それらを逃さず見つけてあげられるかは、自分次第だろうと思う。
そもそも、私が細胞生物学に惹かれた理由のひとつも、顕微鏡を覗いたときに広がる、細胞内の美しい世界に出会ったことだった。大学院時代、私の大学の建物はとても趣のある立派な構えで、その地下に顕微鏡が置いてあった。地下は夏でもひんやりと薄暗く、決して長居したいとは思えない雰囲気だったのを覚えている。そんな中、顕微鏡がひっそりと置かれた部屋に通う時間は、いつもワクワクするひとときだった。かのGeorge E. Paladeさん(学会のルールなので、“さん”です。お許しください。)も、ご自身のラボについて”looked like an unattractive dungeon sunk in the third basement of one of the old buildings of The Rockefeller Institute”と語っている。細胞の観察は地下が良いらしい。
実はもう一つ、愉しみがある。それは出会いである。私が細胞生物学に出会うきっかけとなったのは、大学院時代にご指導いただいた先生のおかげである。もともと私は別の分野に関心を持っていたのだが、ある経緯からその先生にご指導いただくことになり、気がつけばこの世界に足を踏み入れていた。さらにさかのぼれば、その大学院に進学するきっかけも、修士のときに出会った細胞生物学の先生であった。お二人とも私の尊敬する研究者であり、今でも深く感謝している。留学先では、苦楽をともにしたラボメンバーに出会い、彼らは今でも私にとって生涯の仲間である。生涯の友人にも出会うことができた。そして、私の研究人生に大きな影響を与えた、尊敬すべきボスにも出会えた。学会や研究会で出会った研究者たちも、かけがえのない仲間であり、現在のラボメンバーは同じ目標を共有する最高のチームである。いずれも、研究者としての道を歩んでいなければ出会えなかった方々であり、彼らとの出会いは確実に私の人生を豊かにしてくれている。これだけではない。論文を通した出会いもある。私はそうして過去の研究者たちに出会ってきたし、これからは誰かが私たちの論文を通して私を知ってくれるかもしれない。そのつながりを想像すると、少しわくわくする。これからどんな人に出会えるか、愉しみである。
これを書いていたら本当に実験をしたくなってきた。まだ終わっていない申請書があるけれど、早速、計画を立てようと思う。学会でみなさんに早くお会いできるように。