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追悼

2006.01.31

矢原 一郎株式会社医学生物学研究所

 早智子夫人にお悔やみ状を書こう書こうと思いながら、なかなかできないでいた。亡くなられた私より年若い人のご遺族に、語る言葉はまったくわいてこない。中野会長の依頼はよほどお断りしようかと考えたが、月田さんは私にとってもかけがえのない人であったし、また昨年1月に行われた臨床研創立30周年記念講演会(月田さんは既にご病気で、講演をキャンセルされた)のときでも、もっとも会いたかった人だったので、思い出すことを少々書いて追悼の記としたい。

 月田さんは私より16歳若かった。しかし、彼が東京都臨床医学総合研究所で過ごした4年間(もっとずっと長かった気がする)、月田さんは私にとって研究上の師であった。もちろん、私の心の中だけでのことだが。正統的な細胞生物学の枠組みで、研究の対象をきっちり定めて少しの揺るぎもなく仕事を進めている様を間近に見ると、羨望の念すら憶えた。しかし、私は研究上のことで、月田さんと立ち入った議論をしたことはほとんどない。おそらく議論をすると、自分への負荷が重くなることが目に見えていたからだが、なぜか彼の方からも専門の話には立ち入らないようにしていたように思われた。当時、蛍光抗体細胞染色やタンパク質の二次元電気泳動は、私のラボがもっとも得意とした技術であったが、なにかを教えた記憶はまったくない。その代わりよく飲みに行った(また、カラオケにもよく行った)。かなり前のことだったが、サイトの2チャンネルに、私の悪口が出ているときかされたのも、酒を飲んでいたときのことだった。月田さんが教えてくれた2チャンネルは、「今年のノーベル賞に日本人が選ばれるとしたらだれか?」についてのチャットだったが、無記名のチャットではいつも起こることだが、脱線に脱線を重ねて、「医学研究におけるわが国の3悪人はだれか?」になってしまった。そのトップに私があげられ、続いてT大のN教授とK大のO教授が名指しされていた。私は日本でもっとも意地悪の研究者ということだった。私は悪口にはなれっこになっていたのと、月田さんもそういう私の性格はよく知っていたので、酒がまずくなったということはなかった。

 月田さんは52歳の若さでなくなられた。惜しみてもあまりある。同じように、17、8年前、細胞生物学会関係で私と同年齢の重要人物が3人次々に亡くなられたのは、まさに衝撃であった。その3人とは、佐藤周子さん(愛知県がんセンター研部長)、角永武夫さん(阪大微研所長)、そして内田驍さん(阪大細胞工学センター教授)であり、彼(彼女)らもちょうど52歳であった。3人の役務責任のかなりの部分が私にかかってきたが、とうてい担えるものではなかった。その頃の学会誌「細胞生物」に月田さんが「細胞生物学会は“ひどい学会”か?」という巻頭言を書いた。多くのスター研究者が周辺にいながら、細胞生物学会がいま一つ伸び悩んでいたのは、補うことのできない中堅3人の欠落によるところが少なくないと感じていたので、いくらかぎくりとした。しかし、月田さんの“ひどい学会”とは、お父上が酒の上で言った「年寄りを大切にしない、若者がでしゃばる学会」のことで、彼はむしろそれを志向していたので、いくらか安心した。月田さんは「若手研究者の会」のような、お仕着せの若手保護をきらい、学会シンポジウムのオーガナイザーなどに積極的に若手を起用することなどを提案していた。現在では日本の学会も多くの人材をかかえており、月田さんが抜けても、リーダーシップや運営に支障をきたすことはないと思われる。しかし、月田さんの輝かしい個性に、もう直接ふれることができないのは、さびしい限りである。

 一昨年秋、月田さんの膵臓癌は見つかったという。その年を越した2月に私の食道癌が人間ドックで見つかった。私の場合は幸い早期だったので、内視鏡手術でとることですんだ(と思っている)。しかし、「人間、いつかは死ぬ」ということを、少しは考えた。倉本聰の「北の国から」は私が好きなTV(実際に観るのはDVDだが)番組だが、その理由はそこに描かれている父親像に心惹かれるからである。この最終巻には「遺言」というタイトルが付けられている。その中で、主人公の黒板五郎(田中邦衛が演じる)は、登場人物の一人から遺言の書き方を教わる。指南役は、「あなたがいなくなっても、春のやわらかな日差しの中でお孫さんはすくすくと育ってゆき、家族の皆さんも変わりなく過ごしてゆかれますよ。遺言というのは、その情景を思い浮かべながら、そういう人たちに自分がなにを残せるのか、考えて書くものです」と言う。死んだ人と残された人の関係の一面が見事に描かれていると思った。ただし、残された人の側には、このドラマにダイレクトには描かれていない特権が生まれているのである。それは、静かに目を閉じれば、前にその人の姿を見ることができ、耳をすませば、壁の向こうにその人の声をきくことができるという特権である。

 最後に、22歳の子規が同歳の漱石に当てた書簡の一節を引用しておきたい。すなわち、「百年も二百年もいきていたいからとて、生きられる人間にあらず。(略)人間の最期も一時代の最期も世界の最期も同じく両極中の一点に過ぎざるべし。それを長いというハ狭い了見也、短いといふも小さい見識なり」。月田さんは、彼にしかできない、十分な人生を送り、また遺すべきものは遺したと思う。

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