一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

2016-11-02 へんなおっちゃんたち

永田和宏 (京都産業大学タンパク質動態研究所)

私には、二つほど気に入っている言葉というかフレーズがある。これまでいろんな場で話したり、書いたりしてきた。
第一のものは、「サイエンティストと会って、サイエンスの話ができないのは論外だが、サイエンティストと会ってサイエンスの話しかできないのも、つまらないことこの上ない」というもの。第二のものは「おもしろい奴が必ずしもいいサイエンティストであるとは限らないが、私がこれまで出会ったいいサイエンティストは例外なくおもしろい奴だった」というもの。
交友関係というのは、本来何らの利益を生み出すものではなく、金と時間の浪費に他ならない。そうあって欲しいと思う。にもかかわらず、人間が生きてゆくうえで必須のものでもある。で、あれば、できるだけ楽しい仲間に巡り合いたい。
大隅良典さんは、そしてこれから話そうとしている、所謂「七人の侍」と呼ばれる友人たちは、上に述べた、私がサイエンティストとして、そして友人として付き合いたい条件を見事に体現している人たちなのである。

1.ノーベル賞の取材は凄まじい

10月3日。私のところより、もっと凄まじい取材攻勢にあった方たちは、大隅さんの周辺には当然多かったのだろうが、私のところでさえ、呆れるほどに凄かった。あらかじめ新聞社からは、その時はよろしくと依頼されていたので、「その」時刻にはYouTubeを見ていた。ところがそのYouTubeがフリーズしてしまった。まったく動かないのである。
6時40分くらいだっただろうか、最初の電話が鳴った。もちろん新聞社からである。これからすぐ行きたいという。受話器を置くと、すぐに次の電話。東京からである。コメントを欲しいというので20分くらいしゃべっただろうか。その電話の途中から、数社の新聞社が集まり始めた。アポを取ってから来たのは一社だけ。あとは勝手な押しかけである。まあ、大隅さんのことだから仕方がない。面倒なので数社いっしょにインタビューということになった。解放されたのが、10時半ごろ。
翌日は大学の広報経由で、テレビ局が3つやってきた。これで丸一日。一つは実況でスタジオと話をせよというもので、同じ京都産業大学の伊藤維昭さんと一緒に、私の教授室で、カメラのまえに座った。私は知らなかったが、なにやらよく知られたバラエティ番組の一つらしく、待っているあいだ、スタジオでのにぎやかな、おもしろおかしい、さしておもしろくない話が聞こえてくる。まあ、大隅さんのことだから仕方がないか。
などなど、結局どこにどれだけ放映されたのか、新聞社もどの社にしゃべったのだったかも、ほとんど把握していない。はっきりしているのは、二日間、まったく自分の時間が取れなかったこと。私にしてこうであるから、たぶん周辺の方々の騒動は察してあまりある。
はっきりしていたのは、マスコミはなによりエピソードが大切なのだということ。大隅さんの業績についても一応は尋ねるし、よく聴いてくれるが、「ところで大隅先生とはどういう人で…」となってくる時の、身体の乗り出し方は、それまでとは明らかに違う。イキイキし始める。なかでも格好の餌食(?)になったのは、「七人の侍」というキーワードだった。

2.七人の侍

なんだか一気に有名になってしまったが、実は我々いい歳をしたおっちゃんたち七人がなんとなく集まるようになったのは、2011年の3月が最初。前年の4月に京都産業大学に総合生命科学部が作られ、その記念のシンポジウムであった。実はその前年に東京都医学総合研究所の開設を記念するシンポジウムに、田中啓二さんに呼ばれて、確か五人ほどで講演をしたのだが、七人が顔を揃えたのは私たちの大学での講演会が初めてのことだっただろう。
このときのメンバーが九州大学の三原勝芳さんと藤木幸夫さん、京都産業大学の吉田賢右さん、伊藤維昭さん、それに永田和宏、東京都総合医学研の田中啓二さんに、大隅良典さんである。これは今も変わっていない。
講演会のあと、岡崎の白河院の大部屋に場所を移し、食事のあとの飲み会。敷いてあった布団を折り曲げ、端に寄せてみんなが輪になって座る。なにやら修学旅行のノリである、酒盛りであることを除いて。矢原一郎さんが途中で顔を見せ、遠藤特定班から派遣された千葉志信君らのカメラに突然襲われたりもしたが、例によって深夜まで酒盛りは続いた。個人的には、私が妻を亡くしたあとだったので、みんながより盛り上がって慰めようとしてくれていたのは、何より私がいちばん強く感じていた。

この仲間たちがこんなに長く続いているのは、何よりお互いがお互いのサイエンスに敬意を持っていることが第一の要素であると思っている。それぞれが自分の世界を持っていて、流行に乗ったり、人真似をしたりしないサイエンス。単に業績を競ったり、載った雑誌の名前を自慢したりするのではなく、その人が築いた世界に興味を持てる、そして話を聞きたいと思える、そんな関係。
そんな敬意があるから、逆になんでも話せるのだという気がする。お互いに遠慮をしなくてもいい関係。正直に言うと、これは我々のような年齢になると、けっこう厄介なものでもあるのだ。それぞれの立場からくる、さまざまな澱と言うか、埃のようなものがフランクな友人関係の妨げになる。
私はサイエンティストのなかでは自分の歌を見せないことで通してきたが、一首だけ紹介しておくと、

呼び捨てに呼びいし頃ぞ友は友、春は吉田の山ほととぎす  『華氏』

という歌がある。お互いが呼び捨てに呼びあっていた学生時代。そんな利害関係もなにもなかった時代こそ、「友」は掛け値なしの単なる「友」として存在した。そんな友人関係から、社会に出て、次第にしがらみを身にまとうようになると「友は友」などと言い切れなくなってしまう。悲しいことである。この一首は、そんな時代を懐かしんでいる歌でもある。「春は吉田の」は、吉田山、京都大学のシンボルでもある。
この七人の仲間たちはもちろん呼び捨てではないが、あくまで「さん」づけ。もっとも年上の三原さんに対しても、やっぱり「さん」。大隅さんがノーベル賞を受賞してもやっぱり「さん」以外の呼び名は考えられない。そんな安心感。
もう一つ言うと、たぶんそれぞれの研究の、あるいは分野の距離感が絶妙なのである。いちいち説明はしないが、遠くもなく、くっつきすぎてもいない。それぞれの仕事のおもしろさは自分の立ち位置からそのまま実感できるが、それによって競合したり、逆に遠すぎてよくわからないということもない。七人もいて、そんな距離感がそれぞれのあいだで保てるというメンバーというのはあまり考えられないことだ。

3.天然のヒト

そんな七人がことあるごとに集まって、飲む。飲むのか、呑むのか、呑まれるのか。だいたい何かが起こる。大隅さんのこともあれば、そうでないことももちろん多い。
ある時には、珍しく京都の老舗の料亭で食事をしたことがあった。懐石料理であるから一つずつゆったり皿が運ばれて来るのだが、そのペースにあわせられないのがこの七人の困ったところだ。どんどん酒を注文する。何度注文しても追いつかない。これは大隅さんの名誉のために敢えて付け加えておくが、大隅さん以外のある人が、遂に叫んだのである。「おーい、一升瓶ごと持って来ーい」。
このときは、さすがのつわものたちもちょっとひるんだ。何しろ京都の老舗料亭である。懐石料理である。そのテーブルに一升瓶とは。しかしさすがに京都は奥が深い。仲居さんがしずしずと運んできたのは、まさに一升瓶。うーん。
さすがに私はその一件以来、その店には行けないでいる。

ある年には、わが家の花見に大隅夫妻が参加された。私のラボでは毎年、わが家の庭で、花見をしながらバーベキューを楽しんでいる。某学会の、現会長も常連で、教育者、研究者としてはぜったい参加できないウィークデイの昼間から、必ず参加しておられる。アッパレ。
その年は、東京から、大隅夫妻のほかに田中啓二さんもわざわざやって来られた。吉田賢右、伊藤維昭は同じ大学だから当然参加。その年から我々の大学の同僚となった遠藤斗志也さんも当然のごとく顔を見せている。九州の三原さんは、我々と飲むと(これは内緒だが、骨を折るなど)あまりにも事故を起こしすぎなので、奥様のお許しが出ず、直前になってキャンセルということになった。
30人ほどが集まり、昼からバーベキュー。この花見は夕方からががぜん元気になる。場をわが家の二階に移して、延々と飲む。日付が変わるころ、田中、大隅夫妻が先にホテルに帰ることになった。そのあと伊藤維昭さんが帰ろうとすると、自分の靴がない。誰かが間違えて帰ったに違いない。まず大隅さんに電話をしたところが凄い。するとタクシーのなかから、「たぶん田中さんだろうなあ」との返事だったと言う。しかしそれはとんだ濡れ衣で、真犯人はやはり大隅さんだったのである。(やはり、伊藤さんは鋭い。)ホテルに帰って、靴を脱ぐときになって気づいたのだという。
その電話がなんだかちっとも恐縮していなくて、またそれを受け取った側も、大隅さんだから、それで当然なんだよなーという風に対応してしまう。まさに人徳とはこういうものであるに違いない。
伊藤さんは仕方がないから大隅さんの靴を履いて帰った。ところが事件はそれだけでおさまらず、実はその靴は私の靴だったのだ。オイオイ、というわけである。結局、大隅さんから宅急便で伊藤さんへ、伊藤さんからまた宅急便で私へ、トコロテン式の靴の輸送が行われたのである。お粗末。
大隅さんが酒を飲んで起こしたさまざまはたぶん私よりもっとイキイキと語れる人がいるはずである。救急車で三度も運ばれたなんてことは、言ってはいけないと言われているから、ここでは言わない。これもある京都の料亭で、飲みすぎた伊藤維昭が横にゆっくり倒れ、それが大隅良典に伝わって、二人一緒に椅子から傾き落ちたというドミノ倒しの一件も、これも言ってはいけないことなので伏せておく。

要するに酒が好きな、アホな仲間たちなのだと思う。そのアホらしいところが私は好きなのである。いいのである。同年輩のという気安さもあるが、何よりバカ話ができるのがうれしい。
先の取材で、新聞記者たちは誰もが、そんな酒席で大隅先生はどんな話をされるのですかと質問をする。そんなこと覚えているわけがないじゃないか。バカ話ばかりだよと言っておくのだが、たぶん私の記憶力が悪いだけではないだろう。しかし、人間、バカ話ができない関係ほど窮屈なものはない。ありがたい仲間だと思うのである。
もう一つ、大隅さんは人の話が聴ける人である。これはありがたい。場合によると、自分のことばかり話して、いっこうに人の話を聞かない人、興味を示さない人が、これはサイエンティストのなかにも存在する。自分のことにしか興味がないのである。
大隅さんは、酒席でも、そうでない場合でも、自分から一気にしゃべりだすというよりは、人の話を頷きながらゆったりと聞いていることが多い。これは別の言い方をすると、サイエンティストにとって大切な特質でもあろう。つまり他人の仕事、他人の研究に興味を持てるかということでもあるからだ。
私はサイエンティストになれるかどうかの条件として、学生たちによく言うのは、誰でも自分の仕事はおもしろい。自分のデータは大切である。しかし、それだけでサイエンティストになれるわけではない。サイエンスに向いているかどうかは、他人の仕事、他人のデータを、自分の仕事、データと同じようにおもしろがれるかとうかだ、ということ。これは自分以外の世界にどれだけ興味を持てるかということでもある。
「聴く人」大隅良典を見ていると、まさにその、世界をおもしろがれる人だというのを実感する。ゆったりと話を聞きながら、自分の考えもゆったり述べる。そんな大隅さんとの会話が好きだ。

4.七人で「はい、ピース!」

私たちの京都産業大学で、今年の4月から「タンパク質動態研究所」が設立された。私のほかに、ミトコンドリアの遠藤斗志也、発生の近藤寿人、細菌毒素の構造生物学の津下英明、伊藤さんのお弟子さんで新生鎖生物学で素晴らしい仕事をしつつある千葉志信の、五つの研究室からなっている。招聘教授としてNorthwestern大のRichard I. Morimoto、Max Planck研究所のUlrich F. Hartl、UCSFのPeter Walter、東京都総合医学研究所の田中啓二、東京工業大学の大隅良典の各氏に就任いただいた。
この研究所は4月に発足していたのであるが、外国の招聘教授の手続きが遅れたことがあって、開設記念シンポジウムが10月26日に行われることになった。そのシンポジウムおよび研究所開設の記者発表が10月6日に予定されていたのであるが、これがまことに見事に、今回の大隅さんのノーベル生理学・医学賞受賞決定のニュースと重なってしまったのである。あまりにもドンピシャのタイミングである。
さあ、それからが大変なことになった。先に受賞決定の際の取材攻勢について書いたが、その流れのなかでの記者会見である。普通なら一私学の一研究所の開設などニュースにもならないネタに違いないが、今回ばかりは大隅さんが招聘教授ということがあり、しかも記念シンポジウムで大隅さんをはじめ「七人の侍」が話をするということがあり、ニュースバリュー満点。すごい記者発表になってしまった。
新聞社が十数社、テレビ局が4局ほど来て、次の日の各紙には「大隅良典教授、京都産業大学招聘教授に就任」とでかでかと書かれてしまった。いかにもノーベル賞を取ったから、就任してもらったという感じの記事になっていて、私自身は憮然とせざるを得なかったが、これはあくまで去年のうちに決まっていたことで、七人の侍たちに講演を依頼したのもはるか以前のことなのである。念のために言っておきたい。
初めは150人ほどの専門家ばかりの聴衆を想定し、図書館ホールで行う予定だったのだが、急遽、一部と二部に分け、二部は大隅さんの公開講演として一般にも開放することになった。翌日の各新聞に載ると、半日で予定数に達して募集は締め切らざるを得なくなった。つくづくノーベル賞効果というのは凄まじい。
この二部では、大隅さんの講演の前に、残りの六人が大隅さんについて語るというコーナーを作って、これが好評だった。私も良かった、いい企画をしたと思っている。家族、お弟子さんたち、教室の同僚たち、それぞれがみんな喜んでいるのだろうが、長らく一緒に飲み仲間としてあった友人たちが、それぞれの表現で喜びを語る。大隅さんの人徳もあるのだろうが、なかなかこんな風に率直に喜びを語ってくれる仲間というのもないだろう。
六人がそれぞれ語り終えたところで、大隅さんを真ん中に写真を撮ることになった。マスコミサービスである。七人が並んだところで、いっせいに前に詰めかけたカメラマンたちから、なんということか、「ピースしてください」という声がかかった。
大隅さんの京都賞の折に、某学会の現会長の「ピースしてください」の誘いに乗って、三人そろって思わずピースをした写真がある。いい歳をした、そしてタキシードを着たおっちゃんたち三人がピースというのも、まことに不思議に恥ずかしい写真であるが、私と田中啓二が、話のなかでこの写真を紹介したからだろうか。
その声に応えて、壇上に並んだ七人がすぐさまピースをしたのだから、やっぱりおかしなおっちゃんたちである。大隅さんにいたっては、わざわざもらったばかりの花束を置いてピースで応えている。翌日の各新聞が、全国版でこの七人のピースを、写真入りで紹介したことは言うまでもない。
それにしても、ノーベル賞学者に「ピースしてください」とは。うーん、なんて大胆な。改めて考えてみると、ピースで喜びを表現したノーベル賞学者は、たぶん歴代の受賞者のなかで、大隅さんが唯一の、そして初めての例になるのではないだろうか。それにしても湯川秀樹先生に、ピースしてくださいと言ったカメラマンが居たとしたら、私は大いに尊敬する。これも人徳と言うべきか。やっぱり七人が並ぶと、何でも来い!という気になってしまうのかもしれない。

大隅さん、このたびはほんとうにおめでとうございます。心からうれしいです。受賞の翌日、どっちみち電話はだめだろうからと、携帯にショートメールを送ったのを見てもらったでしょうか。
「大隅さん、本当におめでとう。何だか、無性にうれしいです」と書いた、この「無性に」というひと言が、私のそのときのほんとうの気分だったのであり、今もその気分が続いているのです。


写真1 七人の侍@九州 もう酒瓶を二本も下げている人に注目


写真2 オートファジー国際学会の懇親会@琵琶湖
ほとんど学生コンパのノリ。あまりの迫力にガイジンたちが引いているのに注目。たしか琵琶湖周航の歌を歌ったはず。


写真3 七人の侍@京都産業大学(写真:朝日新聞提供)
このあと、7人で飲みに行き、大隅さんの受賞を心ゆくまでお祝いしました


(2016-11-02)

日本細胞生物学会賛助会員

バナー広告