米村 重信徳島大学大学院医歯薬学研究部
大隅先生、この度のノーベル賞の受賞について心からお喜び申し上げます。
私自身は研究上のつながりは全くなく、ちょっと遠くから見てきたわけですが、いろんな感慨がわいてきます。大隅先生が東大の教養学部に助教授でいらっしゃったころ、私はちょうど博士課程を終えたあたり、お顔は覚えましたが、話したことはありませんでした。また、私が岡崎の生理研で助手を務め、その後京都大学に移ったあたりで、大隅先生が生理研と同じキャンパスの基生研にいらっしゃったことをかなり後から知り、ギリギリで縁がなかったなあと今は残念に思います。その頃、私のよく参加する細胞生物学会で大隅先生が、「オートファジー」という言葉の含まれるタイトルの講演をされているのを知りました。オートファジーの仕事で初めて成果が出てきたその頃だったはずです。講演内容の要約などを見て、酵母の話なのか、酵母だけの話なのかな、と思ってしまいます。1990年前後のことです。私は当時、学位を取ったばかり、不勉強なくせに一端の見解を持ちたいなどと背伸びをしていました。出てきたばかりのオートファジーの研究に、いまいちかな、と判定を下していたわけです。研究分野も異なるのでまともに研究を聞いたことはなかったのですが、聞いたとしても同じだったでしょう。どんなに重要であり、おもしろいことなのか、まるで気づくことができませんでした。その後、自分の生物観の視野の狭さ、偏りを常に気づかされることになるのです。
もっとも、私だけがそうではなく、初めから誰もがノーベル賞級の研究に展開していくと考えていたようには思われません。その中、大隅先生は酵母で「オートファジー」に関わる遺伝子のほとんどを同定し、その仕組みを解き明かす手がかりを確実に作り、実際に解明につなげ、それがまた哺乳類などにおける研究の重要な基盤となりました。中途半端で止めていたら今日の発展はなかったはずで、パイオニアとしての熱意やこだわり、自分が注目した現象への愛着などに突き動かされていたのかと思います。オートは自分で、ファジーは食べることであり、当初は細胞の中のミトコンドリアなどの機能を持った顆粒を食べてしまう(機能が悪くなったりすると壊してしまう)現象というような印象でしたが、やがて細胞が、必ずしも外からの栄養の供給が十分でないときでも、例えば、持っているタンパク質をアミノ酸に分解し、状況に応じて必要な別のタンパク質に作り変えるための、非常に重要な分解機構であることがはっきりしてきました。そのような基本的な機構なので様々な疾患にも関わってきている(細かなことはまるで知りませんが)ことがますますわかりつつあります。細胞の代謝全般の捉え方を大きく変え、今後教科書の構成をかなり違ったものにするだろうと思われます。このようにオートファジーの研究が発展し、ついにはノーベル賞を獲得するまでに至り、ますます私は実に見る目のない若造だったと思わされるのです。