吉森 保日本細胞生物学会会長、大阪大学生命機能研究科/医学系研究科教授
大隅良典先生、この度のノーベル生理学・医学賞ご受賞誠におめでとうございます。先生には、本学会に永年貢献頂いており、2001年には大会長として第54回細胞生物学会岐阜大会を開催して頂きました。そして何より先生のご研究は一貫して細胞生物学の真髄を体現しており、これほどまでに見事な細胞生物学的アプローチの結実はありません。それがノーベル賞単独受賞に輝いたことは、我々本学会員にとってこの上ない喜びです。日本細胞生物学会会長として、会員を代表し心からお慶び申し上げます。
ただ私は細胞生物学会会長である前に、恩師としての大隅先生の受賞に万感の想いがあります。私は、大隅先生が愛知県岡崎市にある基礎生物学研究所にラボを構えられた1996年に助教授として呼んで頂き、哺乳類オートファジーの研究を開始しました。6年間の大隅研時代を経て独立した後も、一貫して哺乳類オートファジーの分子機構と疾患との関わりをメインテーマとしています。この20年間ずっと大隅先生のご指導を受けており大隅研で学位を取ったわけではないのですが、先生をメンターだと思っています。大隅研在籍中は、世界初のオートファジー国際学会や前述の細胞生物学会大会開催のお手伝いをさせて頂きました。大隅研発足当時は、細胞生物学者でもオートファジーを知らない人がたくさんいました。しかしその後の分野の発展は爆発的で、私にとってはまるで夢でも見ているようです。最初の頃は、先生が画期的な発見をされたのに分野自体を誰も認知していない状況でしたから「大隅先生はノーベル賞を貰ったって不思議じゃ無いんだ」と半ばやけくそで言っていました。それがあれよあれよという間に分野が拡大し始め、いつしか先生のノーベル賞受賞は私の願望・夢になっていました。その夢がとうとう叶いました。Dream comes trueです。ここ数年はマスコミも先生を有力視していましたが、私は何故かもっと先だろうと根拠無く思っていて(期待しすぎてがっかりするのが怖かったのかも知れません)、一報が入ったときは虚脱状態になりました(でもすぐに怒濤の取材攻勢が始まり、ゆっくり感慨に浸っている暇はありませんでした。私が受賞したわけでも無いのに、私の教授室が報道陣で外まで溢れかえり、カメラと槍みたいなマイクを突きつけられ延々3時間以上喋らされ、翌日もまた、みたいな状況でした。ノーベル賞は恐ろしい…)。
大隅先生は、偉大な研究者であると同時に誰からも愛されるお人柄です。偉ぶったところが皆無で、どんな相手とでも気さくに話されます。完璧というよりは極めて人間的、そしてそのことを隠しもされないのでそれが多くの人を魅了します。私はそういう大隅先生のエピソードの手持ちが100個できかないくらいありますが、この機会に少し報道陣にも言わなかったことを書いてみます。先生はひとことで言うと天然・無防備の人です。1)先生は海外出張の折りは、機内に持ち込めるコンパクトなスーツケースしか持たれず、預けるからロストバケッジになったりするんだよと常々仰っていました。ある日私が飛行機から降り立ち関税に向かって歩いていたところ、先に降りられていた先生が向こうから逆向きに走って来られて仰天しました。どうしたんですかとお聞きしたら、荷物を全部機内に忘れてきたとのこと。なかなかやるなあと思いました。2)イタリアの学会のエクスカーションで、小さな古い街に行きました。自由時間に、迷路のような街を散策しました。先生がずんずん歩かれるので、道をご存じなんだと思って大勢(ほとんどが外人)がついていきました。かなり歩いてから、突然先生が立ち止まられました。何の当てもなく歩かれていただけでした。その躊躇いの無さに騙されて、全員で迷子になっていました。皆で道を探して帰りました。3)岡崎時代に私が車を運転して交差点に差しかかったときに、横から黒い物がものすごい勢いで突っ込んできて急ブレーキをかけました。脇目も振らず自転車を漕ぐ大隅先生でした。私のブレーキが遅かったら、オートファジー分野は消滅していました。今でもぞっとします。先生は、私に気付かず振り向きもせずそのまま素晴らしいスピードで走り去られました。中国出張のときは、先生がふらふらと、車が猛然と行き交う車道に出てしまうので奥様が上着の裾をしっかり掴んでおられます。
当然のことながら、学会のオーガナイズやアドミニストレーションはお得意ではありません。周りが何とかしないといけません。私は助教授のときにそのことで愚痴っていましたが、今にして思えば若気の至りでありそんなつまらない仕事を先生にさせてはいけないのです。研究者としての才能と、万人に愛されるキャラクターが補って余りあります。
普段こんな感じなのに研究は凄い、という言い方は多分間違っています。先生の優れた研究は先生の自然体と表裏一体だと思います。研究者としての先生を評価するポイントは数々ありますが、私にとって最も驚嘆すべきことで絶対真似できないと思っていることがあります。先生は論文をどんどん書くタイプでは無いので、出世も遅く教授になられたのは50歳を過ぎてからでした。そういう状態にもかかわらず、東大の安楽研の助手から独立助教授になられたときに、これまでやってきたことを捨てて全く新しい、それも誰も顧みていなかった液胞におけるタンパク質分解の研究を始められました。これは果敢を通り越して無謀にも思えます。しかし、早く論文を書かないと出世できないといった普通考えるようなことを頭から除去して純粋にサイエンスのことだけを考えたとき、先生のチャレンジは極めて論理的で戦略的だったと言えます。もちろん光学顕微鏡で液胞のなかに黒い粒(オートファジックボディ)が見えることを最初から予想されていた訳ではありませんが、その発見(ユーレカ!)のあとは水が低きに流れるように研究が進んでいきました。でも私であれば、世俗的な雑念で最初の一歩が踏み出せなかったでしょう。きっと安楽研で行ってきた仕事の延長をずるずる続けていたと思います。まさに、分野を切り拓く者Founderの真骨頂です。
今回先生は単独受賞でした。これもまた清々しかった。多くの人から私が共同受賞しなかったのは残念だと言って頂き、それはありがたいことですが、私自身は口惜しいとは全く思っていません(くれるというなら貰いますけど)。私を含め大隅先生以外のオートファジー研究者は全員、フォロワーであってファウンダーではありません。先生の功績はこの分野で突出していて、比類無きものです。私の盟友Hong Zhang教授がいみじくも最近文章に書いていましたが、「大隅先生がいなかったらこの分野は存在しない、他の誰かがいなくても形が変わるにしても分野が消えることはない」のです。私は先生の単独受賞を決めたノーベル賞委員会の見識に敬意を表します。そして大隅先生が、私と水島君が共同受賞するのではないかと思っていてくださったことだけで十分満足しています。
大隅先生のことなら、私は何十ページでも書けると思います。先生と言うシンプルにして複雑、面白過ぎにして偉大な存在に魅入られたオースミ病ですね。大隅研を離れて何年も経ってから、私は研究とは無関係なプライベートな悩みについて先生に相談したことがありました。相談と言うより苦しい胸の内を聞いて貰ったのですが、在籍中はあまり良きスタッフでは無かった私の話を先生は本当に真剣に聞いて下さった。そのこともずっと忘れることができません。
最後にもう一度、細胞生物学会会長に立ち戻りたいと思います。受賞後大隅先生は、我々にとって大変重要なことを繰り返し訴えられています。基礎研究=役に立つか立たないかわからない研究に対する理解と支援の必要性です。先生は元々何かの賞を取ることには無関心な方でした。それがある頃から、基礎研究の重要性をアピールする機会になるなら貰っても良いと言われるようになり、事実受賞のたびに発信されていますし、今回も幾度となく述べられています。それに対する政府首脳の反応には大変失望しました。役に立つ研究になら資金を出すということのようですが、根本的な誤解があります。役に立つと称する研究はたくさんありますが、役に立つことが当初から判っている研究はほぼ存在しません。我々も日本における基礎研究を守るために大隅先生にだけ頼るのでは無く、草の根運動を粘り強く行わないといけません。それには一般の人々に我々の発見の喜びを伝え共有して貰うことが大事です。科学とは人類の知的共有財産です。そういう意識が社会に根付いていてこそ、我々は税金や寄付を使って研究ができます。大隅先生の受賞により、ひとりでも多くの人が基礎研究の素晴らしさ、面白さを知ってくれたらと願わずにはいられません。
大隅先生は最近またご自分でベンチに立たれているそうです(多分受賞の騒ぎで中断していると思いますが)。これからもお元気で、さらにご研究を発展させて下さい。ただし、自転車に乗っていて川に落ちたりしないでください。Ohsumaniaからのお願いです。