一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.17 January (2) 新会長をお引き受けするにあたって

中野 明彦 (東京大学・大学院理学系研究科/理化学研究所・中央研究所)

 永田和宏先生のあとを受け,本年1月より日本細胞生物学会の会長をお引き受けすることになりました。暮れも押し迫ってから選挙の結果を知り,その任の重さを噛みしめつつ新年を迎えましたが,今この会報に就任の辞を書こうとして,改めて大役を仰せつかったものだとひしひしと感じています。

 思い起こしてみると,私がこの学会と関わるようになったのは1983年のことでした。カリフォルニア大学のRandy Schekmanのところにポスドクとして留学したく,手紙を書いたところ,彼が親しくしているバーゼル大学のGottfried Schatz教授が,日本細胞生物学会の特別講演に呼ばれて日本に行くので,会ってみてくれとのこと。へーそんな学会があるのかと,福岡で開かれた大会にインタビューを受けるために駆けつけたのが最初の大会参加になりました。わざわざ福岡まで行くのにインタビューだけではつまらないからと,参加費を払って Schatzの講演はもちろん一般演題も聞いたのですが,しばらく前から会員であった日本生化学会に比べ,ずっと小さな学会でありながら発表にはレベルの高いものが多く,また小振りであるが故に何とも言えないアットホームな雰囲気があって,即座に気に入ってしまい,ただちに入会したのであったと記憶しています。考えてみると,そのころから会員であった人々にはあの雰囲気に対する郷愁がどことなくあって,それがよきにつけ悪しきにつけ,この学会の進路に影響してきたような気がします。

 2年間の留学から帰国したあとは,自然とどっぷりこの学会に関わるようになりました。そんな任ではないのにと思いつつ運営委員会に引きずり出されるようになり,若手として意見を言わせてもらおうというようなつもりでいたのが,ふと気がつくと若手と言うと怒られるような年になっていて,そろそろ学会に恩返しをするために本気で働けということなのかなと思っています。

 廣川先生が会長に就任されたときに執行部の庶務幹事を仰せつかり,永田会長の時代にはCell Structure and Function編集委員長を命じられて,ほぼ8年間学会執行部の中で働いてきました。ご存じのように,この間には大会会期を秋から春に変えるという決定,日本発生生物学会との大会共催,さらには思い切って大会のやり方そのものを大きく変えていこうという試み,そしてCSFを廃刊すべきではないかという議論すらあって,さまざまな大きな改革が進んできました。そのような大きく舵を切る過程に少なからず関わっていた私が,今ここで会長に選ばれたということは,この改革の路線が一応の評価と支持を受けたということと同時に,今後学会が安定した進路を取れるように,責任を持って続けろということを意味しているのかもしれません。

 この会報をお読みの方は,これまでのライフサイエンスにおいて学問としての細胞生物学が果たしてきた大きな役割,また今後さらにますます大きくなるであろう細胞生物学の重要性について,言われるまでもなく十分に認識していらっしゃることでしょう。そうであるが故に,日本生化学会や日本分子生物学会においても細胞生物学が大きな柱となり,学会としての日本細胞生物学会のアイデンティティが問われる時代になったのだと思います。この数年間,学会の執行部や運営委員会,将来計画委員会や若手のワーキンググループ等で議論されてきた最大の問題は,この学会の存在価値はどこにあるのだろうということでした。その答は一応出たのだろうと思っています。生化学会や分子生物学会といった巨大学会と並び立つことは目指さない。この学会の大会にはぜひ出席したい,と研究のプロフェッショナルが思えるような魅力的な大会を持つこと,それを何よりも大事に考えようということでした。

 ここで私はどうしても月田さんのことを書かないわけにいきません。本会報の訃報にある通り,月田承一郎博士は,昨年12月,膵臓ガンのため帰らぬ人になりました。 私の個人的な想いは,追悼文として別に書かせていただきましたが,この学会にとってどれほど彼の存在が大きく,どれほど大切な人であったことか,今痛切にそれを感じています。月田さんは,2004年の大阪大会以来,大きく大会の運営方式を変えるに当たって変革の議論をリードした中心人物でした。今年の大会も,最終的にはIUBMBに協賛するという形に落ち着きましたが,当初はこれとは別に月田さんが大会委員長として独自の大会を持つという予定でした。元気であれば,もしかすると予定通り突っ走ってくれていたのかもしれません。「どっちにしろ中野さんはいずれ会長になる人なんだから,ぼくは精一杯応援するよ」と言ってくれたのが,直接言葉を交わした最後になりました。ときとして論争し,ときとして強く共感した細胞生物学会に対するいろいろな思いを知る1人として,彼を失った悲しみは言葉で言い表せるものではありませんが,何をやっているんだい,と天国から言われないよう,しっかりと進路を定めていこうと心に誓っています。

 日本細胞生物学会の新しい執行部には,庶務幹事として東京都臨床医学総合研究所の水島昇氏と理化学研究所中央研究所の今本尚子氏,会計幹事として情報通信研究機構関西先端研究センターの平岡泰氏に加わっていただくことになりました。これまでの改革路線を引き継ぎながら,執行部の顔ぶれは一新して,新しい雰囲気で学会の運営を進めていきたいと考えています。若くて才能溢れる水島さんと,長年にわたり細胞生物学会を力強く支えてきてくれた今本さん,平岡さんに,思う存分手腕を発揮してもらい,さらによりよき学会への発展を目指したいと思います。

 学会の大会は,今年はIUBMBの協賛,来年は福岡で日本発生生物学会との共催が予定され,大きなイベントの変則的な開催が続きます。高井先生がお世話をされた大阪大会において,今後3年間はこのスタイルでやろうと決めた方式も,福岡の次の大会からはまた新規に見直しをしてもよいと思っています。その議論は,永田前会長が立ち上げた新しい将来計画委員会に託しますが,どうぞ会員の皆さんからも忌憚のないご意見をお寄せください。

 会誌CSFについては,私がもう1年編集委員長を務めます。この学会の不思議な慣習で,執行部メンバーの中で編集委員長だけが1年任期がずれているのです。編集委員長は会長が委嘱することになっているので,私が私を解任して新しい方に交替していただくことも可能とは思うのですが,あえてそれはせず,もう1年やらせていただくことにしました。ようやく軌道に乗りかけた完全電子版の体制が整うにはもう少し時間がかかります。オンライン投稿・審査システムが完成し,質の高い論文の投稿がどんどん増えても十分対応できることを見届けて,次の編集委員長にバトンタッチしたいと思っています。昨年,冊子体を廃止した直後は劇的に投稿が減り,本当にこのままなくなってしまうのかと心配したこともありましたが,夏以降は素晴らしい論文の投稿が相次ぎ,レベルが上がっていることを実感することができました。前永田委員長が大変努力されてよいレビューをたくさん掲載したおかげで,インパクトファクターが2.932と急上昇したことも大きな追い風になりました。他誌に先駆けて完全電子化を実現し,IFが大きく伸びている雑誌として,現在さまざまな方面から大きな注目を浴びています。これからも,世界の第一線で活躍する会員がよい論文を投稿したいと思える雑誌を目指します。

 最後になりましたが,日本細胞生物学会が存在価値のある魅力的なよい学会であり続けるためには,会員の一人一人からの力添えが欠かせません。学会が活力を持ち続けられるよう,皆さまのご支援を何とぞよろしくお願い申し上げます。


(2006-01-31)

日本細胞生物学会賛助会員

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