大日 方昂千葉大学理学部生物学科
いま世の中では政治,経済(企業)さらに教育のレベルまで改革・リストラの渦がいたるところに広がっている。大学も例外ではない。問題となるのは改革の中味であり,それぞれの改革の功罪は時を経れば明らかになるであろうが,関わりのある人にとっては悠長に推移を見守ってばかりはいられない問題であろう。改革が,骨を抜かれた政治改革のようでは情けない。
全国の大学での改革の中味は様々であろうが,特徴的なのは戦後教育の一つの柱とも言えた一般教育のシステムの改変[=教養〔学〕部の解体]と大学院重点化のながれであろう。自然科学系の場合,大学院重点化は理系研究者への社会的ニーズも背景にある。ところで,物事にひずみが生ずるとき,しわ寄せは常に弱いところに向かう。かつての大学紛争(闘争)の時代はともかく,いまの大学での弱者は学生(院生)ではなかろうか。いま進みつつある大学改革の多くは,本多勝一氏がよく用いる表現を借用すれば,改革する側の論理で進行し,改革される側の論理はここではほとんど無に等しいと言ってもよい。大学院重点化の流れのなかで,大学院生の総数の増加にはめざましいものがある。言うまでもなくその増加は大学院重点化された大学に集中しているが。結果的として,大学院への門戸が大きく広がったことは大学院(とりわけ修士課程)進学の希望が多い理系学生にとっての朗報であろう。一方,大学院生の大量の増加にもかかわらず,大学院生をバックアップするシステムは殆どないがしろにされているようにみえる。研究のスペースや施設の整備が伴わないこともさることながら,最も顕著なことのひとつは,大学院生への奨学金の貧弱さであろう。全国の状況を正しく把捉できる資料はないので印象としてしか言えないが,大学院生の数が増した分だけ奨学生採用率が減少しているように思える。ちなみに,筆者の属する理系大学院では,修士課程院生の約15%,博士課程院生の約20%が奨学金を貸与されているに過ぎない。学術振興会の特別研究員は2%にも満たない。しかし,「大学院重点化大学」では事情ははるかにましであろう。そして,この差が現象的には兵糧攻めによる大学院リストラへの道をつくる可能性は大いにありえよう。いずれにしろ「経済大国」日本での悲しい話であり,システムはことなるとは言え,アメリカの大学院と際だつ違いと言えよう。当大学院では昨今,外国人留学生の方が,国費助成や各種奨学金でよりよくサポートされる傾向にさえあり,それも一因となって大学院博士課程における外国人留学生の比率が高くなっている。今ほどに大学院が大衆化してくると,大学院修士課程まではともかく経済的には親に依存することが,次第に常識化し,定着してきているかのようだ。しかし,博士課程の大学院生となるとどうであろうか。奨学金を手にしない80%の学生がどのようにしのいでいるのか,悲鳴が聞こえるようだ。かつて大きな問題となったオーバードクター問題が今とり沙汰されていないものの,学位取得後必ずしもバラ色の前途が待ち受けているわけではない。それでも,知的好奇心と探求心から大学院での研究に意欲を燃やす若き研究者に敬意を表したい。日本の基礎科学の充実を,将来の一層の発展を願うならば,そして,理系研究者の養成を願うなら,何をさておいてもまずなすべきは大学院生のための奨学金の充実や特別研究員の枠の拡充ではないではなかろうか。それは仮に種々の大型研究費〔最先端設備費,重点基盤設備,特別推進など)の予算を削減してでも行うに値するものであろう。