一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.22 July & August (1) 幼虫期から脱皮を目指して

大澤志津江 (神戸大学大学院医学研究科)

 第63回日本細胞生物学会において若手最優秀発表賞を頂きまして、誠にありがとうございました。さらにその副賞として本誌の巻頭言の執筆という大変恐れ多い機会を頂戴しましたものの、書くべきことが全く思いつかず途方に暮れていたところに、学部時代の研究室の恩師・藤井義明先生(現・東北大学大学院理学研究科化学科 名誉教授/東京大学分子細胞生物学研究所 非常勤講師)からなんと10年ぶりに暑中お見舞いの御葉書が届きました。この思いがけない出来事が、まるでこの場で学部時代について書くようにとの暗示のようにも思えましたので、研究者としてはまだまだ幼虫期のひよっこで誠に恐縮ですが、自分自身のこれまでの研究生活を綴らせて頂こうと思います。生き物の中で起きている現象を分子レベルで探ってみたい、そのような漠然とした思いから選択したのが、東北大理学部化学科で唯一の生物系研究室であった藤井先生の研究室でした。藤井先生は、解毒酵素の1つであるシトクロムp450遺伝子を世界に先駆けてクローニングした方で、当時はp450の発現制御に関わるダイオキシンレセプターAhRの機能解析を行っていました。実は、藤井先生はちょうど私が学部を卒業する年に定年退職を迎える予定でしたので、研究室は店じまいの方向に向かっているのではないかという失礼な想像をしていたのですが、実際にはそれどころか開店早々のような活気に溢れていました。藤井先生は毎朝ラボに1番乗りで、時間を見つけては実験室に足を運んでエネルギッシュに動き回るのはもちろんのこと、私たちラボメンバーが教授室に隣接したお茶部屋にお茶を入れに行くとなぜか必ず教授室から藤井先生が出ていらっしゃって(電気ポットのロックを解除する音に反応していらっしゃった?)研究ディスカッションの時間となりました。そして何よりも、一刻を争うような研究プロジェクトに対する藤井先生の思い入れは、私たち最下層にいた学部生にもひしひしと伝わってきて緊張感がありました。私は完全に藤井先生の熱さに引き込まれ、また、そこまで人を熱くさせる研究の醍醐味に踏み込んでみたいと強く思いました。しかしながら、意気揚々と研究生活を開始し、頑張ればそれだけ結果が出て順風満帆な日々を送れると夢みて過ごしたのも束の間、現実という厚い壁にあっさりとつぶされることになります。藤井先生の退官後、藤井研で培った分子生物学を基礎に細胞死の機構を分子レベルで明らかにしたいと考えて飛び込んだ三浦正幸先生(現・東京大学大学院薬学系研究科 教授)の研究室では、修士2年次に投稿した論文が9連続でリジェクトされ、サイエンスの厳しさに愕然としつつもたくましく生きていくことの大切さを学びました。三浦先生のご指導のお陰でなんとか博士号を取得した後は、三浦研の先輩でもあった井垣達吏先生(現・神戸大学医学研究科 特命准教授)の研究室にポスドクとして移籍しました。現在は、ショウジョウバエをモデル生物として、細胞同士のコミュニケーションを介した細胞死・細胞増殖の制御機構を明らかにすべく日々研究に没頭しています。最近少し気が緩んだのか、徒歩で通学中に電信柱に正面衝突して顔を傷だらけにしてしまいましたが、負けずにたくましく実験しています。研究においても人としてもまだまだ未熟な私ですが、唯一誇れるのは等身大で話せる学生時代からの友達や学会等で声をかけて下さる藤井研・三浦研時代のラボメンバー、いまだに口頭発表の際には不安な表情を浮かべながら見守って下さる三浦先生、そして至らない私を辛抱強くご指導・サポートしてくださる井垣先生をはじめ、共に研究してくれる井垣研メンバーたちがいることです。学部の頃に化学科にいながらも生物系の藤井研を選び、生物学の面白さに気づいてからの10年間、研究の世界で出会った多くの方々に支えて頂き、学ばせて頂いているからこそいま日々わくわくしながら研究を続けることができているのだと感じています。幼虫期から脱皮できるよう努力していきたいと思います。最後になりましたが、第63回日本細胞生物学会においてお世話になりました諸先生方にこの場を借りて御礼申し上げます。


(2011-07-31)

日本細胞生物学会賛助会員

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