一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.2 December (1) 「みんなで夢みるサイエンス」

西田 栄介 (東大・理・生物化学)

 自然科学の実験研究に携わる者として、どういう時が一番嬉しいかと尋ねられれば,ある自然現象(我々の場合,生命現象)のある側面が解った瞬間だと私は迷うことなく答えるだろう。どんな小さな事柄でもよい,自然の一部を知ったと思えた瞬間、理屈を越えた喜びの感情に満たされた経験を何度か味わってきた。この気持ちは,おそらくは,全ての自然科学研究者に共通のものであろう。そして.次に頭に浮かぶのが,「これは誰も知らなかったことなのだろうか」とか,あるいは,「他の研究者は気づいていないだろうか」という競争原理に裏打ちされた意識である。「自分達が見出したことを誰よりも早く公表して,プライオリティーを確保したい」と,これもおそらくは,大多数の研究者が共通に考えることであろう。そして,もし自分達が今のところ一番乗りらしいとわかると大いに安心するが,また一方で激しい不安におそわれる。「誰かに先を越されはしないだろうか」。また,別の感情も沸き上がってくる。「自分達の見出したことは,本当にそうなのだろうか。どこか間違っているのではないだろうか」。これらの気持ちの入り乱れているうちに実験を重ね,論文を書き,rejectされたりreviceしたりしているうちに平静さが戻ってくる。平静さが戻ってこないで,論文をめぐる闘いでもっと頭に血が上ることもままある。そして,何とか論文のacceptに至る。

 これから大きなことが解ってきそうだと予感させるような実験がうまく行った時というのも興奮が激しいものである。その確認の実験をする時もなかなかスリリングである。楽しみでもあり、恐くもある。

 1,Jあまりにも思い通りの結果が得られてほくそ笑む時もあれば,あっさりとどんでん返しを食らうこともある。しかし.我々にとって,こういうあれこれが次から次へと起こってくることが,何よりの喜びである。しかも,研究チーム会員で,それらの実験を推進し,結果に喜びあるいは悲しみながら,また実験を進めて行くことができる時,最も楽しいと感じられる。研究活動は個人プレーではないのである。

 また,ある時は何事も起こらず,ただひたすら耐えねばならない(その間常に努力し続けるのだが)時期が長いこともしばしばある。そういう時は,喜びのレベルをどんどん下げていくしかない。これができる人間はタフであり続けられる。そして,もちろん,タフでなければ研究者はやって行けない。

 科学,特に自然科学に対する世間の人の関心が増大していると言われている。生命科学の分野でも,例えば性決定遺伝子などかなり大きく報道されたように思う。これらの科学の成果を伝える努力は,これからも大いに必要である。が一方で,その科学研究に従事する我々の姿も伝えていく方が良いと思う。

 しかし,例えば「ノーベル賞学者の素顔」とか「科学者偉人伝」のような,芸能ニュース的ゴシップもの(これらも結構おもしろい)ばかりでない方がいい。と思い,至極あたり前で驚きのない文と知りつつも,日頃感じるままに書き付けてみたのが,前段の文章である。これではあまりに単純・素直に過ぎるのではないか,自然科学研究を一面的に捉えすぎているのではないか、と大半の同業者の方(すなわち,この拙文を読んでくれている方々)は感じるだろう。それは,多分,私の単純さの反映である。お許し頂きたい。でも,単純な素人の発想が生物学の原動力であるという側面もあるのではないだろうか。

 「夢見れば,人生はつらい思いが多くなるけれど,夢見ずにいられない,もしかしたら……」と中島みゆきが歌っている。「みんなで夢みるサイエンス」を僕のモットーにしよう,と今思いついた。明日、研究室でみんなに言ってみよう。


(1991-12-01)

日本細胞生物学会賛助会員

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