一般社団法人
日本細胞生物学会Japan Society for Cell Biology

Vol.23 September (1) 反応の中味について考える:キット全盛の時代にあって

中山和久 (京都大学大学院薬学研究科)

 私の研究室で研究を始める学生の皆さんに対して、私が最初に必ず言うことがある。
「実験を始める前に、何のためにその実験をやるのかの目的を理解しましょう。次に、その実験の原理を理解しましょう。マニュアルやプロトコールを読むことと、その内容を理解することは違います。皆さんはこれから、先輩からもらったプロトコールを見ながら実験したり、キットを使って実験したりすることが多いですが、マニュアルやプロトコールを見てやるだけなら誰でもできます。」
「研究とは基本的にわからないことを解明するために行なうものですから、実験計画を立て、決められた量の試薬を混ぜ、機械にかければ必ずうまく行くわけではありません。いや、うまく行かないことの方が多いです。研究とは試行錯誤の積み重ねです。でも、プロトコールやマニュアルに書いてあることの裏にある原理を理解できていなければ、なぜその実験がうまく行かなかったのかを想像することすらできません。すなわち、次のステップに進むことができません。また、新たな発想も、原理をわかっていない0の状態からは生まれてきません。」

 ここからは私の実話に基づく。
 おそらくは1986年の春だったと記憶している。当時D3だった私は、RI実験室で3台のインキュベーター(1台はブロックインキュベーターで、残りの2台は水浴のインキュベーター)を前にして単純な操作を何十回と繰り返していた。前年の12月のScience誌に発表された手法1を使った実験である。そう、キャリー・マリス博士が、5月の夜のカリフォルニアのフリーウエイに沿って、助手席に当時のガールフレンドのジェニファーを乗せたホンダ・シビックを走らせながら思いついた手法である2
 極端にキャパシティーの小さな私の脳味噌に蓄えられた当時の記憶をもとにして、その実験の状況を再現してみよう。Science誌の論文に書いてあることをもとにして、私なりに十分に考えてから行なった実験である。まず、エッペンチューブ(1.5mlのもの;当時は0.2mlのチューブは存在しなかった)には100μlのバッファーがあり、その中にはある組織のmRNAから逆転写したcDNAまたはcDNAライブラリーのDNA、4種類のデオキシリボヌクレオシド三リン酸(dNTP)、後でDNA合成を確認するためのα-32P-dCTP、そして2種類のオリゴヌクレオチドプライマー(フォワードとリバース)が含まれていた。
 まず、①ブロックインキュベーターでチューブを95°Cに加熱する。このようなブロックインキュベーターには蒸発を防ぐためのカバーはついていなかったので、②蒸発してできた水滴をエッペン回しで軽く遠心して下に落とす。次に、③42°C前後の水浴にチューブを移してインキュベートする(この温度設定はプライマーによって変わる)。そして、④チューブに大腸菌DNAポリメラーゼIのKlenowフラグメント(あらかじめ反応バッファーで薄めたものを10μlぐらい)を加え、タッピングで軽く混ぜてから遠心する。⑤このチューブを37°Cの水浴に移してインキュベートする。私が何十回(20~40回)も繰り返したのは、この①~⑤の単純作業である。もともと100μlだった反応液に、10μlのKlenowフラグメントを20回加えれば全量は300μl、40回加えれば全量は500μlにもなっているので、DNAをエタ沈してからバッファーに溶かす。その後、ポリアクリルアミドゲル電気泳動し、ゲルを乾燥させた後にオートラジオグラフィーにかけ、特異的なバンドが検出されるかどうかを調べる。

 ここまで退屈しながらこの『巻頭言』を読み進めてこられた皆さんの中には、この実験(操作①~⑤)は一体何をやっているのかを想像できない方もいらっしゃるかもしれない。でも、この『巻頭言』の読者の皆さんのほとんどは、必ずやったことのある実験手法である。ただし、今日では、人間が順次チューブを移していくのではなく、『サーマルサイクラー』という機械(製品名はいろいろあるでしょうが....)が、1台で数時間のうちにこなしてくれる操作である。
 この『ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)法』を利用した1986年の私の実験は、結局のところうまく行かず、それ以降私自身はこのマリス博士のオリジナル手法を使ったことはない。失敗した理由は後から考えるといろいろあるが、長くなるのでここでは省略する。当時の私は、指導教員だった中西重忠先生の言葉「100打ったうちの1つが当たりゃ~一流の研究者や、10個当たりゃ~超一流や!」を忠実に実行していたと言える。体力勝負で多くの実験をこなし、少々の失敗は気にせず、いろいろ条件検討してもうまく行かなければ次の研究テーマに移っていった。ただし、成功確率を100分の0.5ぐらいから100分の1にまで上げる手だてはあったのではないかと、ちょっと後悔している。中西先生の言葉には、「よく考えてから打て!」も言外に含まれていたはずである。でも、このような失敗の積み重ねがあったからこそ、今日の私があるのは間違いない。
 それに比べて、マリス博士は違っていた。ガールフレンドとデートをしている時やラホイヤ(La Jolla)の海岸でサーフィンをしている時を除けば、シビックの中で思いついたPCR法についてさまざまなシミュレーションや計算をし、この手法が確立されればどのような波及効果があるのかも十分に考慮してから実行に移した2。原理的には必ずうまく行くはずだとの確信を持って....しかし、最初はなかなか思い通りには行かず、試行錯誤があったらしい。でも、最終的にはこの手法を確立して、ノーベル賞受賞に至ったのである。

 マリス博士のオリジナルPCR法から、今日の機械化された方法に至るまでの間に、もう一つ重要な変革がある。Taqをはじめとする耐熱性DNAポリメラーゼの使用である。マリス博士のいた当時のシータス社は、耐熱性DNAポリメラーゼにすぐに注目した点でもすばらしかった3。当時の私は、「好熱性菌は温泉や海底の熱水吹出し口の回りに棲んでいて、好熱性菌の産生するさまざまな酵素は、触媒反応は基本的に高温の方が進みやすいので産業的に注目されている」ぐらいの知識を、大島泰郎先生の本4を読みかじって知っていた程度である。でも、95°Cに加熱した後に、いちいち大腸菌DNAポリメラーゼIのKlenowフラグメントを添加する操作、言い換えれば私みたいな『人間サーマルサイクラー』は必要なくなったのである。100°Cでも失活しないDNAポリメラーゼによってPCRの機械化が可能になり、皆さんが何気なく使っているこのDNA増幅の機械化こそが、さまざまな場面で今日の生命科学を支えていると言っても過言ではない。

 長々といろいろ書いてきたが、この『巻頭言』を読んでおられる皆さん、特に学生の皆さんに対してもう一度書きます。
「マニュアルやプロトコールを読んで実験するだけではなく、その裏にある原理を理解して実験しましょう。そうすれば次のステップアップの可能性が高まり、実験の成功確率を100分の0から100分の1に、ついには100分の10にまで押し上げることができるかもしれません。中西重忠先生の言葉を借りれば、100分の10は超一流です!」

参考文献
1. Saiki, R.K. et al. (1985) Enzymatic amplification of β-globin genomic sequences and restriction site analysis for diagnosis of sickle cell anemia. Science 230, 1350-1354.
2. キャリー・マリス著(福岡伸一訳)(2000) マリス博士の奇想天外な人生.早川書房.
3. Saiki, R.K. et al. (1988) Primer-directed enzymatic amplification of DNA with a thermostable DNA polymerase. Science 239, 487–491.
4. 大島泰郎著 (1978) 好熱性細菌.東京大学出版会.


(2012-09-12)

日本細胞生物学会賛助会員

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