月田 承一郎国立生理学研究所・生体情報系
細胞生物の巻頭言を書くように依頼されて,正直困ったなと感じた。巻頭言なんて若造がものを言う場所ではないと思ってしまう。経験のない若造がでしゃばってはいけないというのは日本的な感性なのかもしれない。私は生活の上ではこのような感性は好きだが,学問特に学会のアクティビティーを上げるのには時としてこのような感性は邪魔である。今の細胞生物学会の年会では一般演題の演者の多くは大学院生を初めとする若い人たちである。その人達の中で質問をするなどして積極的に本当の意味で年会に参加している人はきわめて少ないように思える。私の仲間の学生達と日常の研究生活の中でつきあっていると,彼らは実際に手を動かして常に新鮮な疑問を抱いている。『若いのにでしゃばって』というプレッシャーがなければもっともっと質問に立ってよい筈である。
そこで学会として若手を優遇すべきだとかいった議論をはじめると必ず『若手,若手と騒ぐのは逆差別だ。本当にやる気のある研究者なら年齢に関係なく積極的に学会に参加する筈だ』という反論がでる。
実際,研究者である私の父と酒を飲んでいるとき,日本では比較的若者が‘えらそうに’発言するある学会を私が褒めたところ,『あの学会はひどい学会やで。年寄りを大事にせん。』と言われて苦笑したことがある。無論,このような議論は日本の細胞生物学会が目標の一つとしているアメリカの学会では無意味であろう。アメリカの風土として,学問の前では年齢に関係なく対等であるという考え方が徹底している。そしてすべての人が対等に議論できるという環境が学問の進歩に大きく貢献していることは疑う余地がない。しかし,日本では前述の『若いのにでしゃばって』の感性のために,議論する上で大学院生などの若手の方が大きなハンディキャップを負わされている。学会としては,このハンディをゼロにするための方策を,日本独得の問題として,真剣に考えなくてはならないと思う。決して細胞生物学会を“ひどい学会”にしようという話ではない。
大学院生を中心とした若手が積極的に参加することなしに学会の発展はないということは事実だと思う。また,日本的な感性のもとでは,若手がどうしても発言しにくい雰囲気が学会のなかに自然にあることも事実だと思う。だから,何らかの方法で若者が発言しやすいような環境づくり,すなわち若者が発言しやすいようにある程度のバイアスのかかった環境を学会のなかにつくる必要があると考える。従来のいわゆる『若手の会』といったものでなく,少し異なった若手の会を組織し,毎年の年会で,シンポジウムの一つを企画担当するような試みはどうだろう?その組織で意見をまとめて運営委員会に委員の枠を確保するのはどうだろう?オリジナルな研究を行うためには,いろいろな人と議論を尽くすことは絶対に必要である。細胞生物学会がますます活発になって欲しいし、そのためにここで述べたようなことも一つの無視出来ない側面として考えて欲しい。細胞生物学会は,運営面でもまだまだいろいろな独自の試みが試せる若い学会だと信じるから。