柳田 敏雄阪大・基礎工・生物工学
私は、大学、大学院と電気工学を専攻していた。昭和40年前半のころだから、電子工学情報工学に分かれる少し前の時代で、それらが、一つの学科に同居していた。卒研や大学院に進むときには、どちらを選択すべきかが大きな問題で、今ふうに言えば、ハードを選ぶか、ソフトを選ぶかということについて大論争をした覚えがある。これは、学生個人の将来といった小さな問題ではなく日本企業の将来にもかかわる重大事でもあった。今ではどちらが重要かなどと言ってもピーンと来ないかも知れないが、当時はまだこれからという時であったから、どちらをより優先的にやるかは大問題だった。みなさんも御存知のように、日本企業は日本人の性分に合っているハードの研究開発を優先させ、当時はアメリカに20年以上遅れているなどと言われていたが、大変な努力の結果、今では世界のトップにまでなった。しかし、その反動といっては言い過ぎかも知れないが、最初からソフトの研究にも力を入れてきたアメリカを追い越すところまではなかなかいけない。これからは、ソフト開発が最重要になるだけに、創造性豊かなソフト人間を育てるという大きな課題が残されたかっこうになっている。
日本の細胞生物学の研究の歩みも、述べてきたコンピューターのそれに似ているように思える。細胞生物学の研究もハードとソフト的な側面に分けることができる。ハード的研究とは、機能分子の同定、細胞内外での極在の決定、構造と機能の研究が中心となるもので、ソフト的研究とは、機能分子の集合体、細胞といったシステムのなかで、情報処理や制御が如何になされているかなどを中心に研究するシステムの研究である。ハード的研究は、遺伝子操作技術を中心にした分子細胞生物学的手法の開発により、近年飛躍的に進歩している。日本人研究者の活躍もめざましい。そして、この分野には研究方法の成熟も相まって、年々多くの若い研究者が集まり活況を呈している。しかし、一方はっきりソフト的理解をめざした研究がハード的研究のように勢力的に行われているかと言えば疑問である。もし、学会員になぜソフト的研究をもっとやらないのかと聞けば、大事であることは分かっているし、そのうちやりたいと思っているが、ハードが解らなければソフトの研究はできないから、まずハードをやるのだというのが一般的答えだと思う。これは、20年程前に我々の多くがした答えと同じである。生来きちょうめんで、よく働く日本人がこのように答えるのは、どちらが重要かを問題にしているのではなく、ハード的仕事にはなじみ易いが、ソフトは苦手というのが本当の理由ではないだろうか。日本人は、一般的にハード的研究をソフト的研究に発展させるような素養に欠けていると思う。誰もが、ハードとソフトの適度なバランスが必要と考えていても、日本では放っておけば、ハードの方にバランスは傾く。細胞機能を解明するということは、最終的にはシステムの機能を理解することであるから、学会として目標を明確にし、強力にソフト的研究を押し進め、特に細胞生物学をめざす学生にも、情報、制御、システムといったソフト的概念になじめるような大学教育が必要だと思う。細胞は人工機械と違ってはるかに複雑でその機能も高級であるから、ソフト的研究は非常に難しく、研究も思うように進まないと思うが、システムが複雑であればあるほどソフト的理解が必要であり、この困難に立ち向かう姿勢を前面に表わすべきではないだろうか。細胞生物学はきわめて魅力的な学問であり、生物・医学だけでなく、工学、物理、化学など多くの分野から注目を浴びている。学会としての姿勢を明確にすれば、多くの優秀な学生、若い研究者がいろいろな分野から集まってきて、このような心配をよそに彼らがそれをなし得てくれるかもしれない。問題は、生意気なガキの態度(ハードの研究者には、ソフトの研究をやっている連中はあまり手を汚さないくせに偉そうで生意気であると映る)に耐え、それを受け入れ、見守ってやれるかである。