清川 悦子金沢医科大学
お世話になった先生方が退官を迎えることが多くなり、私自身もこれまでを振り返る機会が増えた。つくづくと、向いていないことをよくもこれだけの長時間、やってきたなあ…としみじみと思う。こう書くと、あたかも向いている仕事が他にあるかのようだが、医者も向いていないと感じたし、そもそも会社で働くのが無理そうなのも医学部に行った理由の一つであり、組織で働くということ自体が向いていないように思う。更に、どうしてもこれをやりたい・明らかにしたい、という強い気持ちが無いまま、運よく研究・教育職に就いてしまい、すまないような気持ちを常に抱いていた。
でもじゃあ、そんなに向いていないことをやってきて、不幸なのかというと、そうでもなく、今は割と幸せな気持ちで過ごしている。何かを成し遂げた訳ではないが、たくさん経験出来てよかったな、と。大学院生のころ、早く独立してガンガン研究していくのだと思い込んできたけれど、たぶんそれは周囲のもろもろに流されていたからだ。年齢を問わず大きな仕事を出す人たちを身近に見る環境にあり、自分にはこれに耐えるだけの体力や精神力はないこともわかってはいた。優秀な上に頑張りがすごい。私も頑張らなかったわけじゃないが、頑張ればどうにかなる差でもなかった。しかし、仕事としてやっていくには、そんな後ろ向き姿勢が許されるわけもなく、長いこと蓋をしてきたが、もういいんじゃないか、自分が出来ることをやればいい、と肯定できるようになった。向いていないと思っているが、途切れずやってこれたということは、何かしらは向いていたのかもしれないし、向いているとかいないとか、意外に重要ではないのかもしれない。
辞めずにいると、全国ベースの会議に出たり、審査を担当したりする機会が増える。王道を全速力で走る自信に満ちた人たちの中で、浮いている感が半端ないが、身の丈を考えて賢く弁えて断ったりしたら、もう機会は巡ってこない。そんな訳で、2023年1月からCell Structure and Function(CSF: 日本細胞生物学会誌)の編集手伝いをお受けして、出版に至るまでの過程や、多くの人の執筆や査読の技術を見て、多様性の面白さを堪能している。
研究は大学院までという学会員もいることだろう。論文を書かずに研究生活を終えるのはもったいないなと思う。最近は求められる実験量も多いから、ラボの事情もあったりして、修士や博士で第一著者になることが難しいのかもしれない。ボスや共著者との原稿のやり取りなどの論文を作る作業に加えて、投稿後の査読に応える作業も大事だ。CSFでは、編集長とアソシエートエディター、それから査読者2名がかなり細かく論文を読み込んでコメントをする。自分が書いたものを時間を使って読んでくれて、面白いと言ってくれたり、建設的な意見をくれたりする喜びを味わって欲しい。
おまけ:巻頭言142編のなかで自分がどれだけマイナーなのか、調べてみようと思い青木さんの真似をして数えてみたので、関心ある方は見てみてください。